そのとき何ができるのか
こんばんは、Keigo Nozakiです。
Twitter(現:X)で、「実はnoteは毎日更新じゃなかったりする」とツイートしたのは私です。
本当は今日更新するつもりはなかったのだけども、すこしここ1時間の心境を綴りたいと思う。
というのも、近所の親戚のおばちゃんがベッドからずり落ちて動けなくなっていて、それを助けに行ってきたときの話を少ししようと思う。
父が「おばちゃんがまたベッドからずり落ちたらしい、一緒に行ってくれないか」と私の部屋に入ってきたことからこの話はスタートする。「また」と書いたのは以前にもA.M5時頃に同じことがあったためだ。
なので今回は夜の10時で前例にあったのでいつものだなぁと思いながらおばちゃんの家に向かった。
最近付きっきりで面倒してもらっていた人に先立たれて1人で生活をするようになった人で、昼の15時ぐらいからその状況だったらしく、いろんな人に電話をかけてようやく22時にうちの電話につながったらしい。
その間トイレにも行けてない状態だったのでまずトイレに行きたいということでなんとか体を起こすための補助をしてトイレに行ってもらうことにした。
その間私はおばちゃんが連絡先を探すためにごちゃごちゃさせていた市の広報やメモ用紙を片付けていた。おばちゃんはもうかなり歳を取ってる(多分90歳いっている)にもかかわらず、自分で広告を切ってメモ用紙を作っていたようで感心した。
しかも機械の使い方がうちのお父さん以上に慣れていてなんでも機械がやってくれると自慢げにリモコンを押していた!すごい!
そして帰るとき、なんか持って帰りやとおかしと一万円をもらった。
しかし私もお金に困っているとはいえ、そのお金を貰うことに抵抗があった。つまりお金のためにおばちゃんを助けたと思いたくなかった(おかしは賞味期限が切れそうなものをもらった)。
これはお金の金額の問題ではない。
そう考えて、私はおばちゃんの家にもらった一万円を置いて帰ることにした。
もしかしたら読んでいる人の中には、なけなしの一万円だったかもしれないのに、それをあげようとしていたおばちゃんの気持ちを踏みにじったと思われる方もいるかもしれない。
でも、納得できなかった。私は自分がそのお金を貰うべきでないのではないかと直感的に考えた。
むしろ私は15時からベッドからずり落ちた状態で、気づかなくてごめんなさいという気分だった。そんなの知る由もないのだけど、そのどうしようもなさにどうすればいいのかと考えずにはいられなかった。
もしかしたらおばちゃんはもし父が電話に出なかったら、明日の朝凍えて亡くなっていたかもしれない。
そんなことを考えると私は怖くなった。
何に?
私たちはひとりで生きていない。
どうやって私は気づけばいいのか。
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