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noteのことはじめ



わたしと読書について

はじめまして、多分はじめてのnote投稿で、私のことを知らない方もたくさん見てくださると思うので簡単に自己紹介をしてみたいと思います。

名前はKeigo Nozakiです。よろしくお願いします。

実は2019年からTwitter(現:X)でもこの名前を使っていました。
よかったらフォローしていただけるとうれしいです。
→ https://twitter.com/nozaki_keigo

このアカウントをつくった理由は大学の先生と繋がりたかったからです。

現在でも自分の興味のあることを”勉強”するのが好きなので、気になった大学の先生をフォローしています。


大学進学までは暗記を中心にした興味を持てない<お勉強>が苦手でした。
どの教科でも試験勉強をしても平均点ぐらいにしか届かず、試験勉強をしていない人に点数が負けてしまって、馬鹿にされていた思い出があります。

しかし大学に入ると試験の点数以外でも成績が評価されます。
特に私の出身大学はレポート課題が多かったから、真面目に講義で提示された文献を読んでレポートを書くことによって、一定の評価が得られました。

人に自分の頑張りを認められるのは嬉しいもので、ここから私は講義で提示された文献以外にも本を読む楽しさを知ることができました。

高校生まで朝の読書タイムと称して10分間読書や夏休みの読書感想文といった<強制的な読書>ばかりだったけど、いざ自分が読みたいと思った本を読むとそこには”本当の読書”の楽しさがあったのです。

ただ、大学入学まで”本当の読書”をしてなかったからどういう本が世の中にあるのかを私は知らなかった。そこで大学の先生が講義で紹介した本やその本の参考文献一覧にある気になった本を読んでみるようにしました。

特に複数の本の参考文献一覧でよく見る本はチェックするようにしていました。なぜならよく引用されている本はその学問領域の本質的な核心(人生においても大事なこと)をついているように感じるからです。ex.『ソクラテスの弁明』『人間の条件』etc…

誰かにやれと言われて無理にやらされる読書よりも、
数珠つなぎに、目的などない、自由な読書が私を形づくっています。

実践と理想の中間地点としてのnote

自己紹介になっていたのかわからないけれど、自己紹介はこのぐらいにして…
私がnoteでしたいことを述べて、はじめての記事をしめたいと思います。

私がnoteをはじめたのは、居場所をつくることができる可能性を皆さんと考えたいからです。
私のルーツは高知県の東部にある安芸市というところにあるわけですが、2024年11月末にこの市に唯一あった書店が姿を消します(この記事の作成は2024年10月初旬)。

私はこのニュースにとてもショックを受けました。そこは私たちがDVDを借りたり、コミックを立ち読みしたり、友達と集まってカードゲームをしていた場所だったからです。

昔遊んでいた場所を喪失してしまうという経験は、子どもにもあるし大人になればなるほど多くなっていくものだと思います。喪失には「いつかなくな
る」「時代に左右される」といったネガティブな側面がある。


しかし逆説的に…

「いつかなくなる」、だからこそ今そこにあることを大切にできる。
「時代に左右される」、にもかかわらず私たちは自由に考えることができる。


…と、別の形で居場所をつくることが可能なのではないかと時代に抗ってみたくなりました。


私がどういう形でこの問題に取り組むのか、今のところ具体的なことはなにひとつわからないですが、しかし本との出会いと同様にこの問題を通して様々な人やものと出会いたいと思いました。


そうした場所がnoteにつくれたらいいなと思って、
私はnoteをはじめてみたのです。

(次回以降、なるべくゆるく、ハードルをあげないように更新していきます…)

Keigo Nozaki

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