あたらしい憲法のはなし~十 内閣
新憲法ができたばかりの頃、政府は新憲法をどう思っていたのでしょうか。
当時の文部省が、中学校1年生用の社会科の教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』を少しずつ、じっくり読んでいきたいと思います。
太平洋戦争終結後の1947年8月2日に発行されたものの、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなったそうです。
全部で十五章ありますので、一章ずつ青空文庫から転載していきます。
今回は第十章『内閣』です。
(まとめ部分を太字にしました)
十 内閣
「内閣」は、國の行政をうけもっている機関であります。行政ということは、まえに申しましたように、「立法」すなわち國の規則をこしらえることと、「司法」すなわち裁判をすることをのぞいたあとの、國の仕事をまとめていうのです。國会は、國民の代表になって、國を治めてゆく機関ですが、たくさんの議員でできているし、また一年中開いているわけにもゆきませんから、日常の仕事やこま/″\した仕事は、別に役所をこしらえて、こゝでとりあつかってゆきます。その役所のいちばん上にあるのが内閣です。
内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできています。「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜんたいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。それで、内閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん大事なことですが、こんどの[#「こんどの」は底本では「こんごの」]憲法は、内閣総理大臣は、國会の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申しあげ、天皇陛下がこれをお命じになることになっています。國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分かれたときは、けっきょく衆議院の意見どおりにきめることになります。内閣総理大臣を國会できめるということは、衆議院でたくさんの議員をもっている政党の意見で、きまることになりますから、内閣総理大臣は、政党からでることになります。
また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自分でえらんで國務大臣にします。しかし、國務大臣の数の半分以上は、國会の議員からえらばなければなりません。國務大臣は國の行政をうけもつ役目がありますが、この國務大臣の中から、大蔵省、文部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になって、その役所の仕事を分けてうけもつ人がきまります。これを「各省大臣」といいます。つまり國務大臣の中には、この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事ぜんたいをみてゆく國務大臣とがあるわけです。内閣総理大臣が政党からでる以上、國務大臣もじぶんと同じ政党の人からとることが、國の仕事をやってゆく上にべんりでありますから、國務大臣の大部分が、同じ政党からでることになります。
また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見をとおすことができないと思ったときは、意見のちがうほかの政党と組んで内閣をつくります。このときは、それらの政党から、みな國務大臣がでて、いっしょに、國の仕事をすることになります。また政党の人でなくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入れることもあります。しかし、民主主義のやりかたでは、けっきょく政党が内閣をつくることになり、政党から内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることになるので、これを「政党内閣」というのです。
内閣は、國の行政をうけもち、また、天皇陛下が國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、また、御同意を申します。そうしてじぶんのやったことについて、國民を代表する國会にたいして、責任を負うのです。これは、内閣総理大臣も、ほかの國務大臣も、みないっしょになって、責任を負うのです。ひとり/\べつ/″\に責任を負うのではありません。これを「連帯して責任を負う」といいます。
また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、いつでも「もう内閣を信用しない」ときめることができます。たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院はできません。なぜならば、國民のその時々の意見がうつっているのは、衆議院であり、また、選挙のやり直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、衆議院だけだからです。衆議院が内閣にたいして、「もう内閣を信用しない」ときめることを、「不信任決議」といいます。この不信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、國民にうったえてきめてもらうか、または辞職するかどちらかになります。また「内閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といいます)が、衆議院で反対されて、だめになったときも同じことです。
このようにこんどの憲法では、内閣は國会とむすびついて、國会の直接の力で動かされることになっており、國会の政党の勢力の変化で、かわってゆくのです。つまり内閣は、國会の支配の下にあることになりますから、これを「議院内閣制度」とよんでいます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係があるのです。
あなたは、これを読んで何を感じましたか?
そして、何を思うでしょうか。
自民党草案では
三権分立(立法、司法、行政)は行政に立法や司法の権限を持たせないことで濫用を防ぐことを目的として、現行憲法の第六十五条では「行政権は、内閣に属する」と記載されています。
それが自民党草案ではどうでしょう。
内閣総理大臣の権限強化
となっています。内閣の範囲が広がっているのです。
何が広がっているのでしょうか。見てみましょう。
これだけでは、大したことはないように見えますね。
上記の変更について自民党が出している日本国憲法改正草案Q&A(増補版)23ページでは、以下のように説明しています。
この項の見出しとして「内閣総理大臣の権限強化」と書きましたが、何も私が悪意を込めて付けた名称ではなく、このQ&Aにそう書かれているのです。
ほかにもあります。
「総合調整」と言われてもよく分かりませんね。これも日本国憲法改正草案Q&A(増補版)23ページに説明があります。
これも内閣総理大臣の独断を憲法で認めるという内容です。
そして、もう一つ。
こちも日本国憲法改正草案Q&A(増補版)23ページに説明があります。
これだけでも十分に恐ろしいのですが、以下と組み合わせるとどうでしょうか。
軍の独走を抑止する機能の排除
現行憲法では「内 閣 総 理 大 臣 そ の 他 の 国 務 大 臣 は 、 文 民 で な け れ ば な ら な い 。」となっているところが、草案では下記のようになっています。
軍を作り、昨日まで軍人だった人間が内閣総理大臣にもなれる。そして内閣総理大臣は「最高指揮官として、国防軍を統括する」。果たしてこれは、シビリアンコントロールが有効な状態といえるのでしょうか。
軍の独走を抑止するどころか、抑止する機能を排除することを目的とした憲法改正としか見えないのは、私の目がおかしいのでしょうか?
最後に繰り返しますが、日本国憲法改正草案Q&A(増補版)は憲法改正反対派が作ったものではありません。自民党が作ったものです。
追記
基本的人権の記事に対し、Ma-hi-roさまがくださったコメントがあります。
そのときは軽く受け流してしまいましたが、どなたかがおっしゃっていたその内容を、もしやと思い、確認しました。
そして、ぞっとしました。
麻生副首相の発言として
「一九三三年の選挙でナチスの得た多数の議席は、テロと威嚇、反対者の不当逮捕などを通じて得たもの」だそうで、それに対したしかに現在のところ政府はそんな荒々しいことをしようとはしていません。しかし憲法9条すら、「自衛隊を明記する」ぐらいの認識しかない状態で選挙させようというのは、
9条以外に目が向かないように選挙戦を進めるのは、これに学んでいる……?
しかも「一九三三年、首相就任直後にヒトラーは国会を解散させた。」とは……。
自民党草案の第五十四条はこのために作られたのでしょうか。
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。