あたらしい憲法のはなし~十一 司法
新憲法ができたばかりの頃、政府は新憲法をどう思っていたのでしょうか。
当時の文部省が、中学校1年生用の社会科の教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』を少しずつ、じっくり読んでいきたいと思います。
太平洋戦争終結後の1947年8月2日に発行されたものの、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなったそうです。
全部で十五章ありますので、一章ずつ青空文庫から転載していきます。
今回は第十一章『司法』です。
(まとめ部分を太字にしました)
十一 司法
「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。
あなたは、これを読んで何を感じましたか?
そして、何を思うでしょうか。
自民党草案では
主要な変更点はない
司法の独立性を脅かすような、主要な変更点はありません。
それは、以前の記事で既にお伝えしたように、そもそも憲法を尊重しなければいけないのは国民のほうだからでしょうか。
ただ、一つ気になるのは任期の項目です。
任期が変更可能に
現行憲法では「任期を十年とし」とあるところが、自民党草案(第八十条)では「法律の定める任期」とあります。
6月24日、アメリカの連邦最高裁で、“中絶は女性の権利”だとした49年前の判断が覆されました。
中絶がやりたくて行う人はいません。民主主義であれば中絶という個人の選択肢を奪うのではなく、中絶しなくて済む社会を作る方向へ注力すべきです。しかしトランプ大統領が任命した判事が3人いたため、保守派が多くなったのです。
憲法で任期が決められているのは、司法の独立性を保つためです。それを法律で定めるなら、政権に都合のよい法律を作ることができます。自分たちに都合のよい裁判官の任期は延ばし、そうでない裁判官は短くするということです。
自衛隊が国防軍になったとき、志願者はどのぐらいいるでしょうか。
それ以前の問題として、兵役に適う若者が高齢化社会の日本にどのくらいいるでしょうか。移民を嫌う自民党が、兵隊を作り出すために中絶禁止という法律を定めないと言えるでしょうか。
そして憲法には国民が協力しなければいけないのですから、違憲という裁判も政府を縛るものではなく、国民を縛るものになります。
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。