『スパイの妻』を観ました。

私は男であるが、女の人が恐ろしく見える時がある。

ここにひと組の夫婦がいるとしよう。男がやたらと”夢見がちの理想主義”だったりすると、一緒に生活をする妻は”シビアな現実主義”がどんどん強くなっていったりする。これは人という生き物が無意識にバランス取ろうとするためなのかもしれない。

なにしろ男と女はDNAが違うのだ。だったら「男と女は違う生き物」って言ってもいいんじぁないかと思うことがある。誤解してほしくないのは「違う生き物だから、分かり合えない」って言いたいんじゃなくて、「違う生き物から、ちゃんと手を抜かずに分かり合おうとする必要があるんじゃないか」ということだ。

だから、生活を共にする男が「人は同じ思いを持った同士を守るべきだ」とか「正義のために行動する必要がある」とか言い出すと、その妻は「この男の考え方で生き残っていけるかしら」とか「どうやったらこの男の目を覚ましてやれるかしら」とか考えるのかもしれない。

もちろん人によるというのが前提ではあるが、自分の共同体(夫婦や家族)が生き残るためなら、なりふりかまわず走り回り、それで命を投げ出す覚悟があるのは女性なんじゃないか思う。
究極の修羅場と言ってもいい戦争という場では、そういう女性の行動によって生き延びた話が多く見かける(沖縄戦とか満州からの引き揚げとか)。
男なんてもんは大きな困難に遭うと結構簡単にくじけてしまい、寝転がって丸まってしまうような、どちらかというと”か弱い”生き物で、すぐ自分のことだけを考えて行動してしまったりするように、私には思える。

そんなヒョロヒョロの男である私なんかは、何かを守るために少し無茶に見えるような行動をする女性というものが、恐ろしく見えたりするのだ。
ましてや、生きるか死ぬかの瀬戸際みたいな状況においては、恐ろしいを超えて、まるでモンスターのように見えてしまうことがあるかもしれない。そしてそれは相手に理解されるとは限らない。

いくら愛しい相手のことを思った行動だとしても、相手が「そういうのは迷惑だ」と思われてしまったらそれまでだ。そういう悲しい行き違いがDNAが違う男と女には起きてしまうんじゃないかと思う。

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