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『戦慄の絆』らしさってなんだ?

●アマゾンプライム版の『戦慄の絆(全6話)』

アマゾンプライムの新作に『戦慄の絆(全6話)』が出てきた。
私が『戦慄の絆』で真っ先に思い浮かぶのはクローネンバーグ作品の『戦慄の絆(1988)』だが、これはそのリメイクのようだ。

軽い気持ちでアマゾンプライムの『戦慄の絆』第1話を見始めたが、まずレイチェル・ワイズの2役が凄まじい。そして、最初の会話シーンからかなりヤバめの大人向けの作品であることがわかる(「ヘイそこの双子のお嬢さんたち、よかったらおじさんと3人でしないか」とか言ってるし)。飲酒とか性とかドラッグとか、モラルに反する内容がバンバン出てくるので、お子様が鑑賞するのはおすすめできません。

序盤から病院での出産シーンが次々と出てきて、赤子がはじめて女性の身体からぬるっと頭を出すシーンが出てきてギョっとしてしまった。こんなものをわざわざ作って見せるとはなかなかにやる気を感じる。

●クローネンバーグ版の『戦慄の絆(1988)』

デヴィッド・クローネンバーグ監督の『戦慄の絆(1988)』は双子(一卵性双生児)男性の産婦人科医師のお話である。見た目そっくりなイケてる兄と内気な弟の2人が主人公(ジェレミー・アイアンズが2役)で、有名女優の診察をして弟が好きになってしまい、それをきっかけに双子のバランスが壊れていく、みたいなお話。

派手目な特撮(『スキャナーズ』とかの頭が破裂するとか、『ビデオドローム』みたいなヌメヌメしたブラウン管に手を突っ込むとか)を期待した当時の私は、なんだが地味なお話に感じてしまい、一回映画館で見ただけでその後は観ていなかった。

●クローネンバーグ版とアマゾンプライム版の違い

アマゾンプライム新作の『戦慄の絆(全6話)』であるが、まず主人公の双子(一卵性双生児)が女性である。こうなると産婦人科でありながら、本人も妊娠・出産というのもありえる。グッドな変更であろう。

イケてる姉と内気な妹というのも、姉はイケてるどころかかなりブッ飛んでいてグラブで激しく踊ったり、男漁ったり、ドラッグやったりで普通の一線軽々超えててかなりヤバいタイプ。なので姉に振り回される妹に「大変だなあ妹」と思わず感情移入してしまうだろう。

●『戦慄の絆』のここがキモ(肝)!

私は『戦慄の絆』における大事な部分は、「一卵性双生児の絆って特別強いものがあるよね」ってところではないかと思う。
よくテレビなんかに出てくる双子で注目されるのは、同じ瞬間に同じコメント言ったりとか、打ち合わせもしていないのに同じタイミングで同じ行動をしたりというのがある。

ある例(作品とは関係ないです)では、お互いの存在を知らずに別々の場所で生活していた一卵性双生児の女性の話がある。
それぞれが職場である男性を好きになって、その男性と付き合いはじめて、しばらくお付き合いしてから結婚して、その後子供が産まれた。ここではじめて双子は会うことになる。
合ってまず見た目がそっくりなことに驚く。そして、男性と付き合い始めた時期、結婚した時期、子供が産まれた時期がすべて同じ時期。そして付き合った男性と子供を見比べるとこれまた見た目もそっくりであった。

こういう「まるで目には見えないところで2人は繋がっているよう」ってのが『戦慄の絆』におけるキモ(肝=大事な部分)なんではないかと思う。

なのでクローネンバーグ版の『戦慄の絆』では調子のいい時は双子のそれぞれが得意な部分(外交担当と手術担当みたいに)を担当してうまくいっているが、一人がバランスを崩すと、とたんにもう一人も崩れてしまう。まるで、両輪では前に進むが。片方が動かなくなると全く前に進めなくなってしまう車みたいに。

●どうしてこうなったアマゾンプライム版の『戦慄の絆』

なのでアマゾンプライム版の『戦慄の絆』の結末には私は違和感があった(※ここから結末のネタバレします)

そもそもこのお話に「2人のどっちが勝ちでどっちが負け」みたいなものはなくて、「勝ちなら2人とも勝ちだし、負けなら2人とも負け」ではないかと思う。

このお話には「私は私なのであなたなしで生きていくわ」っていうのはないだろう。「さんざん離れようとやってはみたが結局離れられない」っていうお話だし、ここはキモ(肝)なので外して欲しくはない(クローネンバーグ版はそういう結末である)。

だから、「これでやっとこの忌々しい2人の繋がりを断ち切ることができるわ」で離れようとやってみたとして、やっと離れられたと思ってハッと我に帰ると「なんだ夢だったのか」で血まみれの2人が横に並んでる。ありがちかもしれないけれど一番わかりやすいのはこれかと思う。

一卵性双生児の2人は「二つで一つ」であるので、1人が息を引き取ればもう1人も何故かわからないが同じ時間に息を引き取ったりした話を読んだことがある。だから離れて生きていこうとしても「えっなんでこうなるの?」みたいなことで2人は同時刻に亡くなる。こういう終わり方もありかと思う。

人間の都合だけでやろうとしたことは自然の摂理の前にはどうにもならない。こう感じさせてくれる終わりがこのお話にはしっくりくると思う。さんざんやりたい放題で人間の手でなんでもできるかのように進めてきたことが最後の最後で「絶対になんともならない」と思い知らされる結末であって欲しい。

●もしかして『打ち切り(短縮)』ですか?

大事な伏線もそのまま放置されたような感じだし、6話っていうのはもしかしたら打ち切り(短縮)だったのかもしれないとさえ思う。アマゾンの偉い人が何話かできたのを見て「この作品ってみんな引いちゃって観ないだろう」ということで打ち切りになったのかもしれない(※私の勝手な推測です)と思った。

1話は普通でない姉妹の登場で圧倒された。2話は普通でない金持ちスポンサーに圧倒された。この調子でいったらどんでもない作品になってるんではなかろうか。そう思って観てたので6話最終回の終わり方は「えーっ、ここまで来たのにもったいない」とか思いました。

●『バスケットケース』というカルトホラーの結末

『バスケットケース(1982)』っていうカルトホラーの結末を思い出した。
身体がくっついて産まれてきたのを手術で切り離して2つになった兄弟のお話。1人は人間の姿(弟)で1人は顔と両手だけのまるでモンスター(兄)。人間として女性と付き合ったりして生きていこうとする人間の姿の弟を、モンスター姿の兄がことごとく妨害する(※この後『バスケットケース』のネタバレします)。

『バスケットケース(1982)』見るには少し覚悟のいるカルトホラー作品

その結末はアパートの窓から転落して宙ぶらりんになった2人。モンスターの兄が弟の首に片手をひっかけている。兄は両手しかないので建物側を持っている片手を離せば2人とも落下して助からない。でもこのままだと兄の片手で弟の首がしまってしまい弟は助からない。かといって弟の首に引っかかった片手を離せば落下して確実に弟は助からない。
どっちにしろ2人が助かる方法なんてないし、2人の関係っていうのは完全に詰んでしまっているというのが、この結末の状態で見事に表現されている。その見た目は少し滑稽でもあり悲しい。

結末ってのはそのお話のテーマが剥き出しになって欲しいとか思ったのでした。


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