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「これからの沖縄戦の映画」会議

わーい『島守の民』の岡山の上映が決まりました(かなり増えてきてます)。少し遅れて9月からですが、観れるなら楽しみにして待ちます。

さて、今後の沖縄戦はどう若い人に伝えていくのかを考えてみたい。
まず、今までの沖縄戦の映画はどんなものがありますかね。

「最新の沖縄戦映画の『島守の民』は描き方としては直球っぽい感じかと、まだ観てないけど推測」

今生きてる人がお墓や慰霊碑の前で亡くなった人を思うシーンから入って、そこから過去の話を描くという見せ方。これがいわゆる”直球”というもので、いきなり過去の話からはじまるのも”直球”で、特別な仕掛けなんかがなく、そのままの事実を見せるというタイプですね。

「もう直球の作品はひと通り出尽くしているような感じもする。
軍人の側から描いた沖縄戦は 岡本喜八監督の『激動の昭和史 沖縄決戦(1971)』がトラウマ級の決定版だし、
市民であるのに戦争に巻き込まれたひめゆり学徒のお話しは『ひめゆりの塔 (1982)』が傑作すぎる。
対馬丸の話はアニメにはなっているが、実写となるといくつかの作品に少し出てきているだけで、しっかりと全部を描いていない。これは子供と先生が犠牲になる話なので、ひめゆり学徒が高校生と中学生くらいなので、それよりも年が下の小学生が戦争に巻き込まれる話になる。もうそう考えただけで泣けてくる、これを何故映画化しないのかという題材だと思う。
魚雷に爆破された時の船上はどんなだったか、生死の境目はどこにあったのか、海の上でどうだったか、島に流れついてどうだったのか。『タイタニック(1997)』ぐらいの迫力で映画化されてもいいと思うし、海を漂流といえば『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2012)』なんかが参考になりそう」

直球の描き方だと、なんだか説教されているような感じがして、若い人が自分から劇場に観に行くみたいにはなりにくいような気もする。最新の『島守の民』なんかはキャストも豪華で、萩原 聖人、村上 淳、吉岡 里帆、香川 京子となっていて、それでも最初の上映館はかなり少なかった。これからはキャストで客を呼ぶというのと同時に、作品の魅力でもお客さんを呼べればいいのだけれど。
(少し話がそれますが、吉岡 里帆さんは沖縄戦を描いた『STAR SAND-星砂物語-(2017)』で現代の学生役をやってたので、積極的に沖縄戦の映画に出るような姿勢が個人的にいいなあと思います)
さて、なにか「おお、こんな沖縄戦の描き方があったのか!」みたいなものがありますかね?

「アニメとかで異世界ものが多数出てるけど、現代の女子中学2年生が沖縄戦の時代にタイムトリップしたとかなら、是非見てみたいのだが」

はじめのきっかけはやはり沖縄戦に関わることで、オスプレイが墜落して爆発に巻き込まれるとかが、いきなりの導入としてはいいですね。それで気がついたらひめゆり学徒の中に入ってしまっている。

「だけど全然知らん女子が普通に学徒の中に入ってるのは違和感がある。心だけがある学徒の中に入り込んでいるというのならありかもしれない」

多重人格みたいに、ある学徒の中に入り込んだ子の人格が出てくる。これはジョジョ(漫画:『ジョジョの奇妙な冒険』)のスタンドみたいにピンチになったら出てくると娯楽作品みたいで面白くなりそう。例えば今いる場所が爆撃されることを先に気がついて(今から起きることが、カメラの二重撮影みたいにダブって見えるとか)、入り込んだ子の人格が出てきて、なんとかして学徒の皆んなを避難させようとするとか。見てみたい。

多重人格の見せ方も、その子だけでは入れ替わったのが見た目でわかりにくいから、入れ替わったら演者も変わる見せ方がいい。変わってるのに他の人はそう見えてないということにして、入った人格の子が登場する。

「ここであれじゃないか、かなり古いが『バケルくん 』(藤子・F・不二雄の漫画)みたいな見せ方がいいんじゃないか。
元の学徒の身体から入り込んだ子が出てきて、そうすると元の学徒の身体は抜け殻みたいに動けなくなる。それをなんとか使ってない部屋とか机の下とかに隠して、入り込んだ子が立ち回って事態を解決しようとする。それでなんとか解決できたところで、元の学徒の子を起こして、入り込んだ子はまた学徒の身体に入る。元の学徒には記憶がないから「私ったらまた気絶してしまったわ」とか別の人格には気づいていない

その入り込む学徒っていうのは現代の子のお婆さんだと、盛り上がりそう。現在で孫からするとお婆さんのことが「厳しくて怖くて、話もできない」とかなのに、そんなお婆さんの若い頃の身体に孫が入ってしまう。
なにか大事なアクセサリーとかで、最後現代に戻ってきた時にお見舞いに来たお婆さんが、戦争中に孫が助けてくれたことに気が付く。「あんたはあの時に私を助けてくれた子だったんだねえ」と気がつけば泣く。もう確実に最後に泣く終わり方になる。

「歴史を変えてもいいから、あの時こうだったらとか、もしもこうなってたらとかがあって、もちろんそれは事実ではないのだけれど、お話の中だけでもなにか別の世界を展開させてみたい気がする」

でもやはり最後は南部の崖に追い込まれてしまう。いくらか大きな被害は避けても、これはどうしても変えようがない。最後の最後に自決するのをなんとか変えれないだろうか。

「はじめに現代から過去に飛ぶ時に、時間が止まるみたいになる。爆発したプロペラとかも見て、破片が当たりそうな人がいたら移動させて助けたりしている。それで最後も洞窟の中で軍人が爆発させた瞬間にまた時間が止まる

おお、なんかアツい展開だわ。

「それで洞窟の中の人を外に運び出す。しかし一人ではとても大人数は大変だ。そこで動けなかったはずの元の学徒の人格も動き出して、二人で一緒に洞窟の中の人を運び出す。もうこれは奇跡ってことで許して欲しい」

まず最初に子供とその親とを助け出したい。次に若い学徒の子たちで、ケガしている人も無事に運び出したい。外に出るとアメリカ軍の戦車も近づいていて、アメリカ兵が火炎放射器も持って攻撃準備している。なんとか時間が動きはじめても被害を受けない場所を見つけて、人々を運び続ける。

ここでお婆さんが大事なものを(壊れにくい石とか)入り込んだ子(孫)に渡すのがいいかもしれない。「あんた何者か知らんけど、私にとって大事な人ってのはわかる。これ大事にしている石あんたにあげるから、お守りと思って必ず持ってて」と渡す。それを現代に戻った時に孫が手に握っていて、お婆さんも孫の一大事だから大事な石を持ってきていて、お互いに分かるというラストシーンが見たい。

「洞窟から人を上にあげるのはかなりキツい。30人以上運んでもう限界で二人(お婆さんと孫)とも動けなくなる。
そこで現代の娘の病室に向かっていた母親が登場。母親はカバンに水筒にお茶やジューシーおにぎり(炊き込みご飯のおにぎり)を持っている。これは娘が出かける時に忘れたので持ってきたのでした。
母親は事故でアメリカ兵によって閉鎖されている所まで来て、取材の押し寄せるマスコミに押されて転んでしまう。ちょうど頭を打って気絶してしまう母親。輪になって避けて撮影するだけのマスコミ。
次の場面は戦争中の洞窟。動けない二人の上から降りてきた母親(の中学生の姿)がカバンを持って出てくる。「あんたらまだ途中じゃないの、気合い入れなさい!」の声で二人はまた起き上がる。カバンの中のお茶やおにぎりを食べて元気になる二人。そこから今度は三人で人を運び出す」

なんか少し無理があるが、そこはなんとか演出で乗り切ってもらいたい。親子三代での活躍に涙が止まらない。

「そして最後に軍人が残る。洞窟の中で爆破させる軍人と、洞窟の中の民間人に発泡しはじめた軍人だけが残る。お婆さんは軍人を助けようとするが、孫と母は助けないで逃げようと言う。ここは『未来少年コナン(1978)』(アニメ:宮崎駿作品)のレプカを助けるコナンのイメージ。お婆さんは「一緒に戦った軍人さんも助けないと」と洞窟に降りようとするが、もう止まっている時間が動き出そうとしてあたりは虹色になってきていた。そのまま降りたらお婆さんが巻き込まれるので、孫がお婆さんを引っ張り上げて、孫は母に「この人をお願い」と言って手を繋がせて、母がお婆さんを引っ張って上に登るのを見て下に落ちてく孫

そこで止まっていた時間が動き出す。誰もいないとこに銃を撃つ兵隊、爆弾が炸裂して光る。孫はゆっくり光に飲み込まれていく。
そして現在に戻ってくる。爆発して燃え上がるオスプレイ。倒れたまま母親が起き上がり娘の名前を叫ぶ。オスプレイの爆風で吹っ飛ぶ女の子(孫)。サイレンの音で暗転。

「次は病室から。ベッドに寝かされている娘と、横には母親。そこにお婆さんが登場。病院の入り口に群れになっているマスコミを蹴散らしてずんずん進んでくる。病室に入るが二人ともまだ意識は戻らない。二人の手を黙って握るお婆さん」

オスプレイの事故のニュース。奇跡的に飛び散った破片に当たった人がおらず、巻き込まれた被害者はいなかった。運転していたアメリカ兵も爆発前に助け出され一命を取り留めた。
そこで先に気がついた母親とお婆さんが話していると、孫の意識が戻る。横にいるお母さんとお婆さんを見て、一瞬洞窟で一緒に助けた姿に見えてしまう。「二人とも外に出れたんだね、よかった」と言ってしまう。「なんだい、悪い夢でも見てたんじゃないかね」とお婆さんが近づくと、孫はお婆さんに抱きつこうとする。そこでギュッと孫が握っていた手を開くとお婆さんの大事にしていた石と色違いの石が出てくる。それをみてお婆さんも何も言えず孫を抱き締める。「よくがんばったねえ」と涙を流して言う。
そこに母も「ちょっとーっ、わたしだって頑張ったんだから」とか言って、それが少しおかしい感じで三人が笑う。

「そこでカメラは病室から引くと、下はマスコミで大騒ぎ。遠くに見えるアメリカの基地にはいくつもの戦闘機があり、空高く米軍機が轟音を鳴らして飛ぶ。ここでエンドタイトルに入る」

いやあ脳内で映画が上映されてしまいました。
これからの沖縄戦の事実を曲げたりしてはいけないと思う。でも新しい要素、仕掛け、工夫は入れてより若い人の興味を引きたい。沖縄戦のことを知ってもらいたい。今後も伝えていって欲しい。
アベンジャーズまではいかなくても、まるで娯楽映画みたいに劇場がいっぱいになった中で、沖縄戦の映画を見てみたい。


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