散文『ハロー、ニューフレンド』
20XX年、太陽系で最も太陽から遠いとされていた天体「V774104」の更に遠くに、新たな天体が発見された。米国の天文学チームが発見したというそれは、ハワイ州に設置されている日本の超大型光赤外望遠鏡「きらめき」で観測したところ、太陽と冥王星の距離の約五倍のところに位置していた。その距離、なんと二五十億キロメートル。
今まで観測されたものとは一線を介していたため、各国の天文学チームが研究を開始した。特に先進国の競争は激しく、おかげで数年後には、この天体が地球型惑星であること、地球とほぼ同じ大気構成であること、水が存在していることなどが確認された。
今までも地球に似た惑星は多々発見されてきたが、ここまで酷似しているものは初めてだった。そこで研究者たちはこれこそ正真正銘の「セカンド・アース」であると発表し、この惑星に智恵の女神であるオリンポス十二神の一人の名「ミネルヴァ」を授けた。
そしてこの惑星の研究は続き、22XX年のことである。
この数年前、地球は数百年前に行っていたSETI(地球外知的生命体探査)に使われたメッセージを少々改変し、ミネルヴァに送っていた。そしてその年、ミネルヴァから返事が届いた。
それはつまり、惑星ミネルヴァに知的生命体が存在するということを意味する。それも、地球からのメッセージを解読出来るほど高度な知能を持つ生命体である。
メッセージに寄れば、彼らは我々地球人で言うところの「ヒューメイリアン」であることが分かった。彼らは独自の言語を操り、文明を発展させ、現在は地球をも超える技術を開発させていたのだ。
そこからは早かった。宇宙空間やISSを経由してミネルヴァとの通信ルートを築き上げ、ミネルヴァの言語を習得するプログラムが発足し(同時にミネルヴァでは英語習得のプログラムを発足させた)、ミネルヴァへ到達できるだけの性能を持った宇宙船が開発された。通信ルートを通じて交流が何度も行われ、23XX年には初めて地球人がミネルヴァに着陸、現地人と交流をした。お互いが手を差し出し、握手を交わした瞬間は宇宙史においての伝説となり、多くのニュースや学問書がこぞって取り上げた。
時は流れ二十四世紀も終末に近づいてきた頃、地球とミネルヴァはとある共同計画を発表した。それは、互いの星の学生を互いの教育機関に受け入れ、文化交流をするというもの。最初の受け入れ先はアメリカやイギリスのいわゆる世界トップクラスの大学、高校など。ミネルヴァ側でも惑星最高峰の教育機関に受け入れることになった。
東京世田谷の自宅から京葉エアーラインで十五分、成田国際空港に隣接されている成田宇宙ターミナルセンター、通称「成田宙港」。リノリウムとLED照明に囲まれた広大なロビーに、谷崎宏人はいた。
テーブルの向かい側に相席している宇宙人(もはや人と言っていいのかも分からない、タコのようなもの)が気になって落ち着かない。過去に何度か訪れて見慣れた景色の中で、うねうねと動く触手(?)を器用に使ってメロンソーダを飲むタコ型宇宙人だけが異質だった。
カラカラに乾いた口をどうにかしようとストローを咥える。しかし、十五分前にはなみなみ注がれていたはずのアイスティーはすっかり消え失せ、スウ、と空気の音を鳴らしただけだった。おまけに前に目を向けた瞬間、例のタコと目が合った。
突然で偶然の出来事にストローが口からぽとりと落ちる。宏人の口元から鳴った音が気になったのかなんなのか、烏石のようなつぶらな瞳は彼に向けられたままだ。とんでもなく気まずくて恐ろしささえ感じるのに、なぜか外方を向くのも怖くて目の前の異星人から視線を離せない。背中を嫌な汗が流れる。
奇妙なにらめっこがしばらく続いたのち、思いきって口角を曖昧に上げてみれば、相手は目をそらしてメロンソーダを飲み始めた。いや、何だったんだ今の、まあともかく。宏人は安堵の息をつき、時間を確認すると、そそくさと席を立つ。人物認証システムが顔を拾い、口座から自動で料金を引き落とす。支払い完了の電子音を背中に聞き、カフェを出た。
帝東大学は数年前から、惑星ミネルヴァとの交換留学生計画に参加している。数多ある学部がローテーションで受け持っており、今年は宏人が所属する工学部の担当になっていた。
ただ大学に在籍させるだけなら何の心配もないのだが、面倒なことにホームステイ先が必要だった。立候補制でホストを募集したが出るはずもなく、大学側の一存で数人の学生が担当することになった。その中に、宏人も含まれていた。
宏人は、ISSのミネルヴァ交流チームに勤務する兄を今だけは恨んだ。彼に大学側から白羽の矢が立ったのは、明らかに兄の存在のせいである。
頭の中で散々に兄を貶してはいるが、決して兄弟仲は悪くない。むしろ、そこらの兄弟よりは格段に仲がいい自信はある。それでも面倒事に巻き込まれた今回だけは、あの幼少期から宇宙オタクを発揮していた兄さえいなければ、彼が偏差値五十いくつの平均学力からアメリカ最高峰の大学に合格しなければ、と恨まずにはいられなかった。
はあ、と盛大に吐き出した溜め息が広いロビーに消えると同時に、旅客型宇宙船「Gale607」便到着のアナウンスが入った。留学生は、この便で到着する手筈になっている。
出口が開いてから十分は経っているが、留学生は一向に現れない。ハンズフリーフォンの回線もうまく入っていないらしく、連絡は来ないし、こちらから送ることもできない。いざという時のために時計台の下にいると決めてはおいたが、果たして相手が無事に来られるのかどうか。
ミネルヴァ人に共通する特徴の青髪が見つかれば可能性は見えるのだが、この芋を洗うような混雑ぶりではそう簡単に見つかるはずもない。下手に動いていいものなのか?と迷って動けないでいると。
「○※#◎$□%」
背中で、声が聞こえた。
振り返れば、宏人の頭上で淡い青の髪がさらりと揺れている。
「▽&¥#○◆※」
はくはくと動く口から流れ出る言葉は、宏人には解読できないものだった。鞄から翻訳機を出そうとすると、手で制止される。咳払いをした後、ミネルヴァ人はもう一度口を開いた。
「すみません、まだ慣れていなくて。時計台はここで合っていますか」
想像していたよりずっと流暢な日本語に面食らいつつ、合ってますよと頷く。
「誰かと待ち合わせですか?」
今時待ち合わせをするのは珍しいため、なんとなく親近感が湧いて宏人はそう話しかけた。ミネルヴァ人の青年(宏人には男性に見えた)は首を縦に振ると少し困ったように目を伏せる。
「そうなのですが、回線が悪くて、連絡が取れなくて。迷ったら時計台にと決めていたので、とりあえず……」
偶然ですね、俺も同じです、なんて言いかけて、ふと思う。もしかして。
「あの、俺、谷崎です。谷崎宏人」
名前を聞き、青年が目を見開く。驚きの表情はやがて緩み、目尻がふにゃりと垂れた。
「ああ、あなたが」
改めて背筋を伸ばし、向かい合う。
「初めまして。ウィリス・ニュウです」
差し出された右手はひんやりとしている。不思議な色をした瞳に見つめられ、宏人も思わず笑みを浮かべた。
2021年度の部誌に載せたものを加筆修正しました。