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星と人の間に ニューヨークで絵描きとして生きる (9)
ニューヨークで、絵描きとして活動してきている啓茶(ケイティ)、ことKeico Watanabeです。
私がアメリカに来てから、27年。
これは私がニューヨークに渡って、絵描きとして生きてきた日々の物語です。
グリーンカードと9月11日
個展を開催するという勢いで渡米した時は、ニューヨークの街を歩いているだけで幸せだったが、その感覚が、だんだんと薄れきている。
個展でも評価してもらえて手応えを感じたり、絵が売れたりすることもとても喜ばしいことなのだが、日常の生活とのギャップが噛み合っていないということだ。
韓国スーパーにお米を買いに行き、豆腐や味噌も購入し、リュックを背負いネギを手に下げている。
タイムズスクエアでは、観光客の間をすり抜けて歩いている。
現実として今後の方向を決めなくてはいけない。
まずは経済の基盤をしっかりと作らなければならない。
生活していくためには、労働できるビザを取得して社会人として一度ちゃんとニューヨークの地に立たなくてはいけない。
最初の目標である「グリーンカード」を取得してから、将来のことは考えることにした。
私のような個人の仕事だと、会社のサポートで段階を経て、グリーンカードを取るということができない。
「特殊技能枠」という枠を、今までの実績や推薦状で挑戦することになる。
ビザ取得の弁護士事務所のコンサルタント業の女性は、グリーンカード取得の可能性の確立は「70パーセントある」と説明してくれた。
60パーセントなら諦めるところだが、70パーセントと言われると、あまり期待せずに、挑戦する価値はあるだろうと決断をした。
最後の貯金を叩いての挑戦だった。
美大を卒業してからイラストレーターとして働いていた資料。
自分の絵が掲載されている広告や雑誌、新聞等のコピー。
インタビュー記事。
それらのコピーを束にして、画廊のオーナー、企業の肩書きのある方、学校の先生、推薦状を色々な方にお願いしてサインをもらって、移民局へ提出した。
しばらくして、追加資料が必要だという弁護士からの返事が来た。
国際的に認められている何か、美術館に納めている証明書とか、受賞歴などを追加しなければならないとのことだ。
出来る限りの実績をすべて提出したのに、これ以上何ができると言うのだ、これは諦めるということなのだろうか。思わず夢がしぼみかけた。
そう思いあぐねていた時に、学校で「英語の手紙」の授業があって、ちょうど友人がヒラリー・クリントンさんに手紙書いたら、なんと返事がもらえたと喜んでいるのを聞いた。
その手もあるかもしれない。私も本気で手紙を書いてみることにした。
「私はニューヨークが好きだ。あなたのように社会貢献をしていきたい。ただ、移民局は私の資料をちゃんと見てくれないので、ビザがとれない」
この内容を、英語の得意な友人がキッチリ仕上げてくれた。拝むような気持ちでポストに投函したら、なんだかもう少しだけ頑張れる気になってきた。
しばらくして、手紙のこともすっかり忘れていた頃になって、ヒラリークリントン事務所から返事が来た。
書類が入っていて、移民局への苦情を書いて提出しなさいという送り先の封筒まではいっていた。
これはうまくいくかもしれないと希望がわいてきた。
そして夏が終わった、その年の9月11日。
私は友だちからの電話で、起こされたのだった。
「啓茶、ぶじ?」
日本の友人だった。
「あれ? ハナちゃん、どうしたの?」
「よかった、生きているね! とにかくテレビつけた方がいいよ、気をつけてよ」
ニューヨークで同時多発テロが起きたのだった。
この日のテレビの画面はいつもと違っていた。
これは映画チャンネル? と錯覚するほど、崩壊していくビルの画像が生々しく映っていた。
現実のこととは思えなかった。
しばらくして、母に電話をかけて、 「心配ないから、ここは、大丈夫だから」 そう伝えた直後、電話回線は切れてしまった。
テレビの中で、大好きなニューヨークが崩れている。
外にでてみるとダウンタウンの空は煙っていて、車はほとんど走っていなかった。
携帯電話で友人たちのも安全を確認しながら、数日が過ぎた。
テレビだけではなく近くまで行ってみようと、ルームメートとダウンタウン近くまで行ってみた。
これ以上は入れないとテープとフェンスの手前にはビル崩壊現場を見守る人達が集まっている。
ある女性が消防隊員に声をかけた。
「何か必要なものはあるか?」
「歯磨きブラシはある? 水と一緒に」
消防隊員は、服も灰だらけだし、瓦礫の中での作業で鼻も口ほこりや粉塵だらけなのだ。
壁や通りには、「Missing」という文字と共に色々な写真が張り出されている。写真の中には子供の顔もある。人々は集まり祈っていた。
その時、星条旗は決して戦争や攻撃ではなくて、アメリカの調和なのだと痛いほど感じた。
* * * * *
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目覚めたら、君はここにいない
空に憧れていた君は
まっすぐ私を見つめていた
もしこれが嘘ならば、現実すべてが夢での出来事
もしこれが、本当ならば、夢のすべてを信じよう
絵だけが独り歩きをはじめる
言葉だけが宙を舞う
いつもの毎日には慣れているはずなのに
眠るのが怖いのは、どうしてだろうか
背中から、脇腹にかけての冷たい痛み
咽の奥には、叫べない言葉が重なりあう
時間においてきぼりにされた今
おだやかな光の温もりを見つけ
体を休める
神様が下りて手伝ってくれるまで
* * * * *
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