アウトプット(発信すること)の重要性
このタイトルを考えてから何ヶ月も下書きのまま放置していた。なぜなら、分かっていても、自分がどんな内容を書きたいのかわからなかったから。
先日投稿した、内海聡医師の新刊の記事を書いて「私の意味するアウトプットすること」の意味が固まってきた様に思う。
過去に何度か「ブログ」と言うものを書いた経験があった。初めは楽しくて、ハワイの日常や自分の趣味、今晩の献立的な記事を書いていた。しかし、数年もすると行き詰まりを感じ始め、重荷にすらなり、結局書くことをやめてしまった。
今思ってみれば、私のブログは読まれる側目線で書かれた受け身なものだったと言う事が判った。いや、ブログなんだから読まれて欲しいんだろうけれど。と言うか、ハワイに住んでるちょっと違った自分を演出していただけだった。それはつまり、万人受けする様な当たり障りの無い内容というか、人生の中のいいとこ取りだけのキラキラブログと言うか。認証欲求の塊みたいな感じ?(笑)更に巷にはそう言う発信がワンサカあってゲンナリしている事にさえ気づいてしまった。
2019年終わりから突如現れたCOVID19、新型コロナウィルス。2021年6月現在でも未だ世界中を撹乱させている存在である。「マスクはしなくていい、いや、した方いい、マスクは2枚、3枚重がいい。」「隣の人との距離は6フィート離して。」テレビでは連日、視聴者の不安を煽るニュースが飛び交い、除菌剤が飛ぶ様に売れ、トイレットペーパーがお店から消える始末。混乱した人々同士の道端での口論、ハワイでは州立校の殆どがずっと休校のまま今年も卒業式を終えた。
果たして世界は正しい(?)方向に向かっているのだろうか?巷に流れる情報をそのまま信じても良いのだろうか?コロナってそんなに怖がる必要があるのだろうか?などなど当初から疑問の渦の中、ただ淡々と日々を暮らしていた。
そしてコロナワクチンの登場。行政からのほぼ半強制的とも感じるほどの摂取推奨活動。そして打つ事が当たり前と言う雰囲気が蔓延している世の中。「ワクチンって出回るまでに10年とかかかるんじゃ無いの?」「打つ打たないって自由意志でしょう?」などの疑問が湧いて来た。
なんの専門的知識のない私の勘は「ちょっと待った。」だった。この意見は少数派だろう、と言うか今の世の中に反した意見なのだろう。実際に、ワクチンの危険性を唱える知識人の方々の発言が消えていっている。消される事自体が何を意味しているのかは明らかなのだけれど。
「私は新型コロナワクチンに反対です。」
これを公言する事に躊躇していた。会う人ごとに「もう打った?」がご挨拶の様に繰り返されたが、その度に言葉を濁していた。でも、周りから白い目で見られようと、友達が去ろうと、もうどうでも良い。
「人生は何度でもやり直せる。」とは言うけれど、こればかりはその判断によってはもう元には戻れなくなる。ちりも積もればで、これから私に何が出来るのか、考えて行動していきたい。
ありがとうございます。