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4/21/2022 ひとりごと


食べること、は生きること、と思っている。最近ではジャンクフードもさることながら、ケトジェニックだ、パレオだ、玄米菜食、GFCF(グルテンフリー、カゼインフリー)、ベジタリアンにヴィーガンに、と様々な食事形式
を耳にするようになった。そしてマーケットには、それらを謳った商品が所狭しと並んでいる。

食に気をつけることは良い事だと思う。がしかし、それに囚われるとどうなるだろう?食べるとは健康を維持する行為とも取れるが、一歩踏み込んで、「健康になる為に私は◯◯食をする。」と決めてかかって、その信念を貫き通す事が果たして健康的思考と言えるだろうか?

強い意志を持つことはとても大切だが、時と場合に寄ってはそれが仇になる事もまた然り。決めつけてかかると四六時中、食に囚われる事になる。これは一度体調を崩した人がとくに陥りやすい。過去の私も紛れもなくその一人だった。

とは言っても、巷には毒が蔓延っており、もはや安全な食べ物など無くなってしまった。その中でも食べることを強いられている私達にできることは、何を食べるか、を決めるのではなくて、何を食べないか(例えば、冷凍食品とか、コンビニ食とか)、を決めることと、もう一つは「自分の手で調理して食べる」事だと思う。

私の周りには料理嫌いだったり、興味がない人が結構いる。そしてそう言う人たちは必ず問題を抱えている。そして、その問題解決のためにアレコレ奔走している。

「自分で料理を作りなさいよ。」と言いたいが、それは私の言うことではない。買ってきたり、チンしたりして食べてもお腹は膨れるが、それはお腹を満たすだけの行為である。

誰かが、誰かのために、自分のために作ったものは、そこにその人からの「波動」が加わると思う。義務的に作られた外メシにはそれなりの、一生懸命作られた食事には何物にも変えられない栄養と価値がある。料理なんか出来なくても良い。フライパンと良い油と新鮮な卵があれば、それで作った目玉焼きは五つ星レストランのシェフが作ったそれ以上の無限大栄養があると思う。

そして可能であれば、気の合う誰かと一緒に食べて欲しい。全てエネルギーの交換だから。子供なら尚更、一人でぽつんと食べさせてはいけないと思う。どうか巷のマーケティングに惑わされず、お母さんでもお父さんでも、おばあちゃん、おじいちゃん、誰でもいいから子供達にご飯を作ってあげて欲しい。そして、美味しいね、と言い合いながら食べて欲しい。

とにかく料理には作り手の性格や心理状態が出まくる。4月初めにホノルルのとある寿司屋で食事をした。昔からあるかなり有名な店だったが、「これでもか!」と見せつけるようなギラギラした料理に当てられて、それから数週間体調不良だった。きっと私とは周波数が合わなかったのだろう。ちょっと話が逸れたが。

食べることってそんな事だと思う。簡単に済ませればそれなりの、時間と労力をかければそれだけの何かが得られると言う事。要は食は思った以上に大事なんだ、って言いたかっただけ。説教が長いな。年取ったのか?

みんな、おいしく食べてください。

おしまい。

この文章は、まだまだ仮面を被った私が尤もらしく書いたものだと今気づく。食のトラウマを抱えて生きている私は、未だ乗り越えたい課題が多々ある、と実感。(10/24/2022 追記)

ありがとうございます♪


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