歌舞伎の楽しみ 〜居どころ〜
舞台の「上手」、「下手」に関連して、、、
例えば、花道を登場した人物が、いつものところ(やや下手寄りにある)の木戸口を入って屋敷とか家に入って来ます。主人がこれを迎え「いざまずあれへ」と招き入れる時、その場所は必ず上手です。
もっと具体的に例示してみましょう。
二重の上(カミ)、この家の奥方が上手に座って部下の腰元などと話をしてい
る。主人の帰宅の知らせを聞くと立ち上がって下手に座を移す。帰った主人は
すぐ二重に上がり、上手に座る。「奥方ー腰元」だった「上手ー下手」が、こ
こで「主人ー奥方」に替わることになる。
さらに主人の上司が来ると「上司なれば罷り通る」と言って、二重の上手に進
む。この家の主人は二重を降りて平舞台に座って上司を迎え、上司の後から二
重の下手にひかえる。 「上司ー主人」になる。
「奥方ー腰元」→ 「主人ー奥方」→「上司ー主人」
「上手ー下手」の人物は短時間のうちに次々と変移してゆきます。
これが「居どころ」という演出の一種です。
上手、下手の約束事は、歌舞伎では、身分、地位、男女、年齢などの尊卑の区別がその占める位置を、約束事として役者も観客も共有しているのです。
もう少し具体的な例をお示しします。
例 「勧進帳」
強力に身をやつしている間の義経は下手で、安宅の関を通過すると上手に座
り、弁慶らは下手に平伏します。「判官おん手を取り給い」のくだりでは、
義経は上手、弁慶は下手になります。
例 「義経千本桜.すし屋」
前にもお示ししましたが、「弥助実は維盛」も、弥助に身をやつしていると
きはすし屋の使用人、その間は主人の弥左衛門夫婦、娘のお里より身分が低
い。その為、「居どころ」はその人たちより右側、つまり下手にいます。
しかし、弥左衛門が「まず、ま〜ず」と敬って上座に直すと「たちまち変わ
る御装い、上座になおし手をつかえ」で、弥助は三位中将維盛になります。
ここでは当然弥左衛門とは身分が違うので、維盛は二重の上手に住まいま
す。衣裳は変わらなくても「居どころ」の上下で、「実は」が効果的に確認
出来るのです。
「居どころ」のまとめ
歌舞伎では、おおよそ登場人物の「居るべきところ」、居場所は決まっています。
① 江戸時代の社会を写した要素、、、役の身分の上下、性別など
② 演劇上の必要性、、、役柄、演出の都合など
③ 役者の格、絵心を重視する歌舞伎独特の美意識
舞台装置が平舞台か二重かによって違いますが、主役や身分の高い役は舞台中央寄りか上手に、脇役は下手を居場所にしており、女房役(女方)は亭主役(立役)より
少し後ろに下がるのが一般的です。
世話物の「弁天小僧・浜松屋」の舞台で確認しましょう。
ここでも居るべき場所(居どころ)は決まっています。
さらに歌舞伎では、
① 二重舞台も平舞台も、真ん中部分は空けてあること。それによって各人が真ん中の空いた空間にほんの少し斜めになります。それで観客はよく見えるのです。
② 本来、弁天小僧は駄右衛門や幸兵衛親子に対しているので、観客に背中を向けて話している筈ですが、それでは役者の顔が見えなくなる、ということで前を向いているけど、正面は切っていません。心持ち駄右衛門に向いています。舞台中央が扇の要になって、客席に向かって末広がりに八の字になっています。
③ 二重の上では幸兵衛は心持ち後ろに下がっています。平舞台でも、弁天小僧が一番前に出て南郷力丸は少し下がり、さらに下がって番頭手代はもっと下がっています。
これは、演目の中の役の比重、と同時に、役柄の軽重、一座の中での役者の階級によるものです。
もう少し続けましょう、、、
「上手が貴く高い、下手が卑しく低い」
これとは別に考察できるフレーズがあります。
歌舞伎には、もともと「位取り(くらいどり)」という言葉があります。
「位取り」とは、そのものの位に従って「位置を決めること」で、
「格」と言ってもいい言葉です。
具体的には、
「作品の位取り」「役の位取り」「役者の位取り」「芸の位取り」
の四つがあります。
① 作品の位取り
これはその作品が重い曲か軽いものかによります。
例えば、「妹背山婦女庭訓」という作品。
「山の段」(定高と大判事のくだり、通称吉野川)と「御殿」(入鹿の住む屋敷
へお三輪が迷い込む)、これは「山の段」の方が重いといえます。
義太夫狂言では、三段目の切(終わりに近いクライマックスの場)が一番位が重
く、続いて四段目の切、二段目の切となります。これは文楽の考え方から来た
もので、歌舞伎ではその限りではありません。
例えば「菅原伝授手習鑑」、歌舞伎では二段目の「道明寺」が一番重く、次に
四段目の「寺子屋」、三段目の「賀の祝」となります。
それは、「道明寺」が菅丞相、覚寿という難しい役があって、しかも、菅丞相
が木像に替わる奇跡があり、感覚的にも荘重な作品だからと言われています。
「妹背山婦女庭訓」の「山の段」と「御殿」。
「山の段」が「御殿」より重いのは、大判事、定高という大役がある上に、登
場人物四人、二時間余りの長丁場という条件があることに加え、「御殿」には
お三輪という世話物っぽい雰囲気の役があって、ここではむしろ軽さが必要に
なって来るからです。
この軽重が「作品の位取り」を決めるのです。
② 役の位取り
ここには二つの側面があります。「役の難しさ」と「ドラマの中の身分の設
定」によるものです。
「役の難しさ」
これは大役であるかどうかで決まります。
例えば、女方には「片はずし」という役柄があります。鬘の名前(髷の一方を
笄から外して使うやり方)からきたもので、武家の女房の役です。「先代萩」の
政岡、「忠臣蔵・九段目」の戸無瀬、「加賀見山」の尾上、「熊谷陣屋」の
相模、「太功記十段目」の操などがそれに該当します。
ここで、政岡と操を比べてみると、これは同じ武家の女房、片はずしの役柄で
す。しかし「位取り」からいえば、政岡が重く、操は軽い役になります。政岡
はニ時間あまりの舞台をほぼ一人で持ち切る大役、対して操は、光秀、皐月、
十次郎、初菊、久吉という大勢の登場人物の中の一人、二人を比べて、役の重
さ、難易度が違います。
「ドラマの中の身分設定」
先ほどの例、「先代萩」では、政岡を中心に、栄御前、八汐、沖の井、松島と
並べてみると、一番位が高いのは栄御前です。政岡と比べれば軽いが、ドラマ
の中では、彼女は管領(時の総理大臣)家の奥方で、夫の山名宗全の代理であ
り、その上、将軍家ご下賜の見舞いの菓子を届けにきたのだから上使も同じ
将軍家の代理といえます。
それ対して政岡は、一介の大名、足利鶴千代の乳母、家臣にすぎません。身分
からいえば将軍家にはお目通りも許されない身分です。
ですから、栄御前は「役の位取り」は軽くてもドラマの設定上は政岡はじめ、
足利家五十四郡の一家中を圧するだけの貫禄がなければなりません。
このように、役の軽重、難易の位取りとは違うのが「ドラマの中の位取り」
です。
③ 役者の位取り
「役者の位取り」とは、その人の芸風、経歴、年齢、持ち味、芸格によって決
まってきます。
それを象徴する材料があります。師走の恒例、京都南座に毎年掲げられる「ま
ねきの看板」です。この看板の序列によってその役者の一座の位置(身分)、同
時に、給金まで決まってしまうんです。
うまいとかヘタとか人気だけでもない、美しさで序列が決まるわけでもな
い、、、そこに「役者の位取り」の難しさがあるのです。
④ 芸の位取り
例えば、六代目尾上菊五郎の舞踊「うかれ坊主」を取り上げてみます。
真っ裸に近い願人坊主は下品でうさん臭い存在です。その下品なところがまた
面白い。しかし、幕が閉まるとえげつないリアリティを通り越して品の良さが
心に染みて服育とした香気が漂ってきます。
芸の品位はその役者の品位に通じます。名人の条件は一つ、その役者の持つ品
性が、芸の上を通り越して、どんな下品な設定や演出であっても、それを突き
抜けてゆく何かがあるのです。
亡くなった六代目中村歌右衛門、「一本刀土俵入り」の酌婦のお蔦。
お蔦という役は我孫子の娼婦、酒浸りのあばずれ女、品のないこと夥しい。
歌右衛門最後のお蔦は、昔日の面影、美しさはなく、シワの目立つ顔でした。
しかし、芝居が始まり茂兵衛とのくだりになると、これが実に綺麗に見え、幕
切れ近くでは、こんないい女がいるかと思うほどになりました。
この奇跡が起きるのは、歌右衛門が嫌味なことは一切せず、ひたすら心の中で「位取り」を大事にした結果であり、顔にシワをとっても、芸には年をとらせない結果であると言えるのです。
どこに「芸の位取り」があるのかはっきりわかっているからです。
作品、役、役者、芸、それぞれの「位取り」、これらがミックスされて初めて
歌舞伎の舞台は一つの秩序を生むのです。
それぞれの「位取り」がバランスを取り合うからこそ、歌舞伎のあの美しい様式が支えられているのです。