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恵文社一乗寺店 11月の本の話 2024


こんにちは。書籍フロアの韓です。

11月の書籍売上ランキングと、おまけの本の話。
今月もよろしければどうぞお付き合いください。



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1位 小原晩『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(実業之日本社)

こんなはずじゃなかったけれど、何度だってやりなおせるね。
悲しいことばかりでもあるし、うれしいことばかりでもあるね、きっと一生。

(「大人になって」より)

作家・歌人として活躍の場を広げる小原晩(おばらばん)さんによる初のエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください(私家版)』が待望の単行本化。今月1位にいランクイン頑張れば頑張るほど、何故か足踏みしてしまう日々。やるせなさも心細さもまるっとのみ込んで、誰かに宛てるお手紙のように、まじめに、ときに面白おかしく綴っていく。

来月20日は、小原さんが恵文社一乗寺店にてトークイベントを開いてくださいます。「小原晩のあとしゃべり」第二弾です!第一弾につづき、聞き手は私、韓が務めさせていただきます。

詳細とお申し込みはこちらのページより。


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2位 雑誌『民藝』「柚木沙弥郎と光原社の100年」

日本民藝協会発行の月刊誌『民藝』2024年10月号が、今月2位にランクイン。染色家・型染めの第一人者として生涯現役で活躍し、2024年に惜しまれつつ逝去した柚木沙弥郎。生前、宮沢賢治が童話集『注文の多い料理店』を出版した光原社は、賢治の同級生である及川四郎によって創設された出版社としてスタートし、現在では賢治ゆかりの工芸店としても知られています。柚木とは同作の絵葉書の原画制作を機縁として、店内の看板や包装紙の制作、展示会を通して深く関わることとなりました。

豊富な図版や生前親交の深かった人々による座談会とともに、柚木と光原社のつながりとその歴史を振り返ります。撮影は『庭とエスキース』『動物たちの家』などで知られる写真家・奥山淳志によるもの。懐かしくあたたかみのある型染めを装丁にあしらった一体感のあるデザインも素敵な、柚木への追悼と今年百周年を迎える光原社へのお祝いを込めた一冊です。

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3位 ネルノダイスキ『ひょんなこと』(アタシ社)

緻密で日常と非日常を行き来するような画風の作家・ネルノダイスキさんの『ひょんなこと』今月3位に。より現実世界の日常が舞台となり、愉快で奇妙なさまざまな登場人物が登場する漫画作品を14編収録。

同月、当店アテリで開催いたしました原画展も、たくさんの方にお越しいただきました。ディープなのにポップ、ノスタルジックなのにモダン。石の作品たちが忘れられません…。


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4位 新百姓 2号「米をくう」

人間ひとりひとりがそれに順応であるよう求められる巨大な社会のシステムに疑問を持ち、新しい生き方を探求する人々の問いと実践の物語を紹介する雑誌『新百姓』。第二号目の「米をくう」特集が、今月もランクイン。

『まぁまぁマガジン』編集長・服部みれいさん、稲作文化研究の第一人者・佐藤洋一郎さん、「田んぼからお茶碗までの米のすべてを知りたい」米屋・長坂潔暁さん、「シェア農家」を手掛ける日吉有為さんらのコラムをはじめ、宇宙で米を育てる(!)ための問いと計画、「米をくう」ための身体的な10の型、奥能登の農耕儀礼「田の神様」の話…。文明と物語の視点、デザインと科学の視点、道具と知恵の視点、調和・喜び・からだの視点から「米をくう」行為そのものを見つめ直します。

当店でもたくさんの方に手にとっていただいている『新百姓』。来月11日は、編集長のおぼけんさんが恵文社一乗寺店にいらっしゃいます。

雑誌『新百姓』と単行本『新百姓宣言』の内容に触れながら、新百姓編集部の「CapitalismからCreativitismへ」という見方や、なぜこのテーマへと至ったのか、これから何をしようとしているのか、についてお話し、私たち一人ひとりの日常から、新しい働き方や学び方、暮らしのあり方をどのように実践していけるのか?について、

トークイベントのお申し込みはこちらのページより。貴重な機会をぜひお見逃しなく。


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5位 『冬の本』(夏葉社)

安西水丸、片岡義男、木内昇、町田康、曽我部恵一、高山なおみら豪華執筆陣がお届けする、冬に読んだ本や、冬になったら思い出す本。冬に出会った本や、冬のような本。冬と一冊の本をめぐる書き下ろしエッセイ集。

まさに今の季節におすすめしたい、つめたい温もりを纏う一冊です。和田誠さんの装画も素晴らしい。


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今月のおまけ話でご紹介するのは、詩を読み、散歩を愛し、老いた猫と暮らす韓国の詩人、ハン・ジョンウォンさんによるエッセイ集『詩と散策』

目にうつり、指先で感じるひとつひとつの些細な存在を手放さず、見つめ、愛でる。まぶたが閉じる音や、忘れていたい記憶、季節の訪れと共にあらわれる光までも、ハンさんは丁寧に汲み上げ、言葉におこします。だれかの小さな囁き声を聴いているかのような、静かな心地よさにページをめくってしまうのが勿体ないと感じてしまうほど。

私の目で見たものが、私の内面を作っている。私の体、足どり、まなざしを形づくっている(外面など、実は存在しないのではないか。人間とは内面と内面と内面が波紋のように広がる形象であり、いちばん外側にある内面が外面に出るだけだ。容貌をほめられてもすぐに虚しくなって、真のほめ言葉にならないのもそのためだ。どうせならこう言うのはどうか。あなたの耳はとても小さな音も聞こえるのね、あなたの瞳は私を映すのね、あなたの足どりは虫も驚かないほど軽やかなのね、と)。

そのあとまた、私の内面が外をじっと見つめるのだ。小さくて脆いけれど、一度目に入れてしまうと限りなく膨らんでいく硬固な世界を。

(「散策が詩になるとき」より)


ハンさんの文も勿論ですが、時折はさまれる詩人たちの詩を読んでいて、そうだ、自分もかつては詩を書いていたい人だったとふと思い出しました。小学生の頃、学校で配布された日記帳にまともに日記も書かず、詩ばかり書いては先生を困らせていました。大人になりなんとなく詩を読む機会こそ減ったものの、大切な(であった)ものを思い出させてくれる、宝物のような一冊です。

歩いていると、いろんな景色がひとつのシーンとなり、記憶に残ったり残らなかったりする。ただ過ぎゆくものを哀しまず、言葉におこし形として携えておく術を知っているからこそ、人が生きる日々というのはまばゆいものなのかもしれない、と思います。

(現在オンラインショップで在庫切れとなっていますが、近日入荷いたします)



それでは、来月の話もどうぞお楽しみに。



(担当:韓)


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