ハートを清らかに保つ
「神は人間を創造した時、多くの素晴らしい天の恵みを授けてくれました。その中でも最も偉大な恵みがハートです。
ハートによって、私たちは神と人類の仲間たちに対する、神聖なる愛を反映することができます。」
ダスカロス著 エソテリック・プラクティスより
スピリチュアルな学びにおいて大切なことはダスカロスの伝えるように、生きることが神聖なる愛を表現することになるように意識を高めていくことです。
そのためには自分のハートを常に清らかに保つことが大切です。
なぜならば、ハートが欲望やネガティブな感情や記憶でいっぱいなのにスピリチュアルな能力だけを開花させてしまうと、その人は力を使うことでカルマを増やしてしまいます。
また、赤ん坊や幼い子供たちがいるだけで癒されるように心が透明な美しい水のように澄んでいる純粋か人はそれだけで周りに与える影響が大きいのです。
スピリチュアルな知識を増やしても意識が低ければ知識は知識のままです。
知識を知恵として役立てるためには意識を高めていかねばなりません。
意識を高めるにはハートを清らかにし、ありとあらゆる感情から自由になる必要があります。
ハートを清らかに保つには、自分のハートがどんな感情でいっぱいなのか?、どんな言葉や態度に過剰に反応して感情が暴れてしまうのか?と、自分と冷静に向き合う事が必要になります。
ハートに傷ついた過去の自分がいたり、コンプレックスや癒されない悲しみや怒りが残ったままでは、その先に成長を進むことも出来ず、また本当の意味で他者を愛することも出来ません。
自分を心底愛していないのに、どうして愛の意味が分かるでしょうか?
「愛しているから愛して欲しい」「愛されたい」と願うのは、「あなたを愛してあげるから私に愛をください」とねだっているのと同じです。
神や大天使たちの愛は枯れることなく私たちに注がれ続けています。
私たちの多くがその事に気づきませんが、それでも私たちを愛でて愛しく思い、溢れんばかりの愛を注いでくれています。
神聖なる愛の中に恐れ、悲しみ、怒り、嫉妬、苦しみという感情は一切混じることは出来ません。
私たちは神聖なる愛を注がれて生きているので、ハートにもこの愛が流れています。
この愛を感じられるようになるまで、ハートを清めていきましょう。