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天皇杯 第50回記念日本車いすバスケットボール選手権大会


2025年の1月31日から2月2日にかけての3日間、東京体育館で題記の大会が開催される。

ぼくが車いすバスケットボールを本格的に始めたのがおよそ25年前。(車椅子生活になる前の話は自己紹介を参照)
四半世紀前に立てた目標、「日本一」への挑戦がもうすぐそこまできました。

車いすバスケットボールを始めるにあたっては実は他にも目標があって、「日本一」以外にも「東京体育館を観客でいっぱいにする」「車いすバスケットボールで飯を食えるようになる」という目標も立てました。

ゆるく判定するならば、この3つの目標はどれも達成しました。山口県で車いすバスケットボールを始め、それから関東の強豪チームへと飛び込みで移籍をし、そのチームで日本一にはなりました。しかし、自分自身はチームの主力選手とは程遠く、日本一に貢献したとは思えない状況であったため、自分が思い描いていた日本一とは異なる達成でした。
その後、チームを更に変えて現在の『NO EXCUSE』というチームで学び、一時期は日本代表にも選出してもらったり、選手としての成長をすることができました。
車いすバスケットボール自体も、東京オリンピック・パラリンピックを契機に盛り上がりを見せて、元々は『内閣総理大臣杯』であった日本選手権大会の冠も『天皇杯』へと変わり(おそらくパラスポーツでは車いすバスケットボールが1番最初かな?)、大会を観に来てくれる観客の数も年々増えていきました。
また、ロンドンのパラリンピックを観戦したことや、その後日本代表に選出されたことをきっかけに、それまで勤めていた会社(フルタイムのサラリーマン)からアスリート雇用を推進していた現在の会社(ケイアイスター不動産株式会社)へと転職をしました。
これにより、3つの目標はとりあえずクリアされたわけですが、「日本一」という目標については、「自分がチームの主力として貢献した上で日本一になる」という条件付きの目標へと変わりました。

現在のチームへ移籍してから5回?6回?日本選手権の決勝まで勝ち進みましたが、いずれも敗退しています。一度はovertime(延長戦)まで絡れ込んだこともありましたが、未だに日本一には手が届いていません。

それでも、今回は最高の準備がチームとしてできていると感じています。選手、スタッフ、ファン&サポーター、すべてがこれまでで最高の状態のチームだと感じています。
もちろん、それでも立ちはだかる相手は強敵です。東京パラリンピックの車いすバスケットボールでMVPを獲得した若きカリスマが率いるチーム、去年おととしと2連覇している最強の相手を倒さなければ日本一にはなれません。

ワクワクするし、恐怖も感じます。
自分の人生の多くを費やしてきた、大好きな大切な車いすバスケットボールで立てた目標、自分自身の限界へのチャレンジ、その集大成がそこにあるかと思うと。それを手にする瞬間、そのときの感情、それを想像するのは、、。

あらためて、ここまでやってこれたことを振り返ると、関わってくれた人、支えてくれた人への感謝しかありません。本当にすべての出会いが有難く、すべての喜びや苦しみが自分を成長させてくれたのだと感じています。

1月にはぼくも45歳になります。45歳で、トップアスリートとして最高の舞台にチャレンジすることのできる人間がどれだけいるのか。それを考えても、本当に今の状況や環境に感謝です。

泣いても笑ってもあと少し。最高の準備をして、最高の結果を手にします。

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