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CMの先行公開で失われるもの

「俳優の〇〇さんと〇〇さんが〇〇の商品CMに出演しました!」
「〇〇の名物CMに〇〇さんが新たに参加されました」

朝夕の情報番組を見ていると、芸能コーナーでそうしたお知らせを見かけることが増えてきました。

俳優やタレントに関する情報だから芸能ニュースの1つとして取り上げられるのでしょうが、その後にその新作CMを先行で公開したりしています。
そこに対して、CMの一つの特徴といえる「日常生活に突如展開される非日常な世界観への驚き」を損なっているのではと考えたりしています。

商品のプロモーションをする側からしたら、視聴者の見られる機会がまばらになるよりテレビ番組内で紹介してもらえて認知度向上が期待されるのは理解できます。
ただ、そのニュースの流れから新作CMを流すのと、チャンネルを切り替えたりいつも見ている番組の合間にそのCMが流れるのだとどちらが印象強く残るでしょうか。
前者は、CMの前段に出演者の撮影風景も紹介されて、その流れでどういう内容なんだろうと視聴者は意識的に準備をします。一方で後者は、いつどこで流れるかわからないCMの特性もあり、新作の世界観も加わってサプライズ感を作り出すことができると考えます。

心を揺さぶるより知られること

わたしは以前、広告制作関連の会社に所属していたことがあり、世界の広告クリエイティブに魅力を感じていました。
その頃はカンヌで受賞した広告CMを観たり、新宿で映画館を貸し切って夜通し世界のCMを観続ける「世界のCMフェスティバル」というイベントにも足を運んだことがあります。
全てのCMに当てはまるわけではないですが、国によって切り口を変えて取り上げていて、その数十秒〜数分で驚きや感情を突き動かすインパクトを残すクリエイティブな面が今でも好きです。

しかし、CMの役割は人々の感情を動かすことが目的ではなく、その商材を取り扱うクライアント(企業や団体)の課題を解決することが目的です。

  • 紹介されるサービスや商材の認知度を上げて、ひいてはそのサービス・商材の利用・購買に繋げる

  • クライアントの目指すゴールやミッションを提示する

一例ですがこうした手段に用いられ、広告ビジネスの上に載っている以上、CMも基本的に商業的であることが求められています。

冒頭で触れていた芸能コーナーの中でCMが流れることも上述を背景にすると合理的といえるのかもしれません。
偶発性とCMコンテンツを工夫して口コミによる拡散を狙うにしても、今はSNSでの個人発信含め爆発的な情報量が間断なく続いています。
その中で埋もれるよりは、一定の視聴者層を囲っている情報番組の中に組み込み流されることである程度の認知機会を得ているのでしょう。

そういった形で流れるCMがつまらないというわけではなく、面白いCMもあるでしょう。その俳優、タレントが大好きな視聴者からしたら、自分で探そうとしなくても先駆けて見られてよかった!と思うのかもしれません。
私自身はCM制作の内情、業界内の意図には疎く、なぜこういう流れになったのか残念ながら分かりかねます。

とはいえ、CM自体の持つインパクトと意識外からそのCMが流れてくる偶発性との組み合わせを行われないことに、ある種の寂しさを感じたりしています。


余談で、先日図書館で見かけた「世界の広告クリエイティブを読み解く」という書籍を読んでいます。これにはホフステードの6次元モデル(権力格差、集団主義/個人主義、女性性/男性性、不確実性の回避、短期志向/長期志向、人生の楽しみ方)を元にカンヌライオンズやOne Showで受賞した広告作品の解説をしています。
ホフステードの6Dを使って、各国の権力格差や個人主義、男性性をグラフ化して比較したりしています。例えばフランスでの広告事例でフランスは個人主義文化のため明確なメッセージを行うというような分析をしていて興味深いです。
広告クリエイティブや世界のCMがお好きな方は読んでみるのも良いかと思います。


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