『頑張る』こと、『諦める』ことの本当の意味。
自分という人間がまず不明
なにかが違う、でもその何かがわからないー。
そんな私の世界は『物語』の中だけだったのかもしれません。
判明して安心する人が多い中なぜか『楽しくない、嬉しいことがない』毎日が『ないのではなく感じられない状態だった』と知ったのはつい先日でした。
「自分で自分がわからないなんてもう終わっている。」
そんな人の声が多く聞こえそう…。
大丈夫です、わかってます…。
でもわからないんです、自分が。
なぜかと言うのは私には『うれしい』『楽しい』とか感じるモノが出ないらしいのです。
病名は若年性パーキンソン病?
偏頭痛は子供の時からでした。
診断を受けて、行った先の大学病院の診療科のポスターをボっと見て思い出していました。
親は「片真面目」と言い、ずっとない答えさえも考えてしまう、そんな子供だったようです。
今でも気がつかないうちにまだない答えを探してしまって、気がついたら頭がしめつけられるような痛さに襲れる。
その繰り返しです。
それまでは精神疾患と思って今もだけど心療内科に通っているだけでなく、ADHD +うつだけなんだと思っていました。だから『スペクト』という脳派検査を受けてこの病名が判明するまで、偏頭痛関係も関係あるとは夢にも思ってなかったのです。
ずっとそうだと思ってた
とにかく子供のころは休まるところが本当に無かったです。ずっと『こうじゃなくてはならない』と言われて、『そうしなきゃ』と思う反面違う!と反発する。
無謀とわかってても言葉にならなくて、涙しか出なくて、でも伝えたくて、結局伝わらない。
周りの人たちとはやっぱり違うと思いました。
わかっていたけど認めたくなかったんですね。
一緒だと思いたかったんです、子供のころは特に。
今みたく『多様性』って言葉がないから『否定されるのはいつも私』って思って思って、「言われない人間になる」ことに必死でした。
「努力に勝るものなし」
我が家にはもう一つの言葉がありました。いつもいつも家の中にはその言葉が飛び交って、そうでなければいけないのだと思っていました。
いや、もちろんそうなんですけれども、だから次第に私も『こうならなきゃ!』ってどんどん自分を追い詰めたんだと思うんです、きっと。
わたしはわたしでよかったはずなのに。
それでも手に入らない現実・・・
現実はいつも修羅、こころの中も戦場。それが私の世界。
行きたい世界はたった一つ、でもそこはどんな努力をしても行けない場所でした。
でも行きたかったのは「もしかしたら友達が待っていてくれるかもしれない」という浅はかな夢をみていたんです。
でも勇気の無かった私にはとうていできない選択肢。今は果たしてそれを選ぶ事が勇気に値するのかは明らかです。
でもあのときはその色のない世界を生きるの辛さが『きっと本当の勇気ではない勇気』を求めたのかもしれません。
生きがいはそれでもあった
子供時代の私にはほんの一つ楽しみがありました。それは漫画の世界。最後は少女漫画に偏ったけど、最初の入口は世界的有名な少年漫画でした。小学生の時、父がしてくれた約束。
「テストで100点取ったら単行本1冊買ってやる」
そのためだけに私は本当に頑張ったと思います。
まさに次のストーリーを待つ事が『生き甲斐』のではないでしょうか。
いつしか今度は私が誰かの希望になりたいー、
浅く狭い夢はその後どんどん広がっていきました。
がんばる、の本当の意味
特に誰かの希望になれる事なく、その方法も見出せず中途半端な人生を生きてきました。
現実フタをあけてみれば家は借金だらけ。しかも高校の途中で急な進路変更を言い渡された私は学力的にも精神的にも何の準備も足りませんでした。そもそも薄々感じてもいいのに「そうさせてあげたかった」親の心情だけを鵜呑みにして、専門学校だけの進路を定めていた私は本当に自分の人生をどれだけ考えていたのでしょうか。
いや、全く考えていませんね…。
何のために就職するのか、仕事をする本当の意味が見出せず、とにかく目の前には借金返済の文字だけがありました。
当然、仕事のやりがいはありません。失敗しても攻略する術もありません。
見いだすことも仕事の一部だということも全くわかっていませんでした。
そうしているうちに自分の人生も何のためにあったのかもわからなくなっていました。
そんな転職を繰り返す闘病生活の中にもらったたったひとことがこれまでも私の窮地をなんども救ってくれました。
その人は私に『がんばる』の本当の意味を教えてくれました。
そう言われてあの瞬間、目の前の扉がかすかにだけど開くような感覚を覚えた不思議な体験でした。
20代後半だったでしょうか。
周囲はどんどん結婚やら子育てやらで、でも自分にはそんな未来はいらない!そんなときでした。
自分の障害特性もきちんと理解してなくて、周囲にも理解してもらえなかった辛かった時期に唯一耳を傾けてくれた人でした。
その後、交流がなくなってしまったけれど、今でもこの言葉には救われています。この言葉がいつも目の前がいっぱいで真っ暗になったら思い出してそんな私にブレーキをかけてくれます。
そしてそういうときは必ず少しだけ上を見て思うんです。
それでも頑張らなくていい、ということはない
もしかしたらこうしたらこうなるかもしれないからここまで頑張ってみよう。
ダメなときはまた仕切り直せばいい、と。
もう少し軽く生きてよかったんだと思います。
頑張ることは確かに大事です。努力なく得るものって本当にないです。得ている人はそれなりの努力(工夫)をしていると私は思います。
だから私も、って思う反面、努力のカタチもまた人それぞれだなと今では思えるようになりました。
たとえ自分には努力しているように見えなくてもその努力をしたいのにできずに苦しんでいる人もいる、という事が病気になって初めて実感します。
現状はいつも無辺に変わる
精神疾患だけの時はそれでもまだ身体が動いてくれました。
でも今は身体が思うように動かない感覚を覚えるときがあります。
これからを考えたらきりがありません。
でもこれも経験しなかったら、もしそこそこでも完璧にでもできる人だったら?
そんな自分がこの文面を思ったらどう思うのかな?
どう発信するのかな?そう思いながら、『できる努力を見る』ことに今気づけたことがよかったんだな、と思いました。
よし、夕飯を作ろう!そうやって1日が終われることが、やっぱり私はありがたい。