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知らないと効果薄かも…「アウトプット」以前のお話。

こんにちは、山下慶です。

今回は建築ネタから離れて記憶術についてのお話です。長文です。

私は読書が好きで、スキマ時間があると何かと学術系の書籍を手に取ってしまいます。分厚い本とかね。

ここで言う学問系とは、答えがありそうで存在しない特定のテーマについて、あらゆる視点から解剖するように、筆者が自問しながら考察していくようなスタイルで書かれた書籍を言います。

そして、必ずと言っていいほど書評を行い、自己の思考を深堀したものを表現するところまで持っていきます。

これは脳内ではなく、必ず文章に起こします。最近はGoogleのドキュメントに書きなぐります。

書評とは、単なる読書感想文では無く、概要まとめと、評価、批評が入ります。

とはいえ、一日の時間は有限ですので、このようなことに没頭して大事な時間を潰すわけにもいきませんので、ルールを定めます。

書評は720文字以内に収めるというものです。

大体、9から10行くらいの文章を書けば必然とこのくらいの文字数になります。書評ルールもある程度は学術的な例に習います。

話すと5分から10分程度の尺になりますので、ちょっとしたスピーチの訓練に適しています。YouTubeの台本としては最適ですね。

さて、前置きはこのくらいにして、今回のテーマは「アウトプット」です。

冒頭、読書と書評について触れましたが、一見すると不毛なことを行っているように感じられるかもしれませんが、これは全て自分の習慣を変えるために行っているものです。

習慣を変えれば、行動も変わる。

行動を変えれば、性格も環境も変わっていきます。

事実、私は地方公務員から今ではフリーの講師、そして動画クリエイターの卵です。(私は幸福度を尺度に人生を決めたいと考えているので、この点、大きく幸福度は高まっています。)

その昔、私の近くに「俺も読書好きでよ、たっくさん読むぜ。んでよ、読んだら脳内に自然と溶け込んで、無意識に得た知識をアウトプットできるから書評とか、読み直しとか必要ないぜ。」と豪語する先輩がいました。

脳科学的な見地からは、余程(人口の0コンマ数%)の天才ではない限り、知り得た知識は、意図的な操作を行わない限り、ニ週間程度で脳内からキレイに忘却されます。

仮に、先輩が読書した書籍が自然と脳内にインプットされ、自然と行動へとアウトプット出来ていれば、私と肩を並べるような環境ではなく、遥か彼方で素晴らしい功績を挙げていることでしょう。(しかし、読書のジャンルが芸能ニュースや漫画であった可能性は否定できない。)

そう、ヒトの脳は優秀で、生存のために必要のない情報は忘却する素晴らしい機能が備わっているのです。

つまり、ヒトの進化論からも、生存のために必要な知識を優先的に脳内にインプットし、反対に不必要だと判断した情報はノイズ(ここでは不要な情報の意味)として記憶から削除していくのです。

巷にある記憶術をみると、7回学習法やビジュアル暗記法、語呂合わせ、チャンク学習法などなど、一見すると効果の有りそうなモノがあります。

もちろん、どの学習法も一定の効果は生むでしょう。

また、戦後の学校教育制度に習った勉強法(学校や学習塾のような座学)が最良と考えている人も多くいます。

さらに、今回のテーマのように学習した内容をアウトプットすることで学習効果を高められるとする考えもあります。

では、どのような学習法が最良で、どのようにアウトプットすれば、記憶定着を高められるのでしょうか?

具体的な回答例ではなく、こうした質問を投げかけられた場合の、人の思考を評価していきましょう。

①私はこう思う。(主観)

②こんな研究データがあるので、こうすべきです。(客観)

③あらゆる手法を試してみよう。(実験)

①(主観)に関しては、科学的見地からは論外ですね。未だに学校教育を是とする時代錯誤された思考です。

②(客観)は、一見すると良さそうですが、どのような科学的根拠も中央値を採用していたり、研究データの優位性や背景などを吟味しないことには、断定はできません。

ですので、取るべきは③(実験)です。

以前、作家・精神科医である樺沢紫苑先生の「アウトプット大全」のセミナーに参加した際、以下のような質問をぶつけてみました。(この質問を直接したくてセミナーに参加したようなものです。)

「書籍内では、インプットとアウトプットの比率は3:7が黄金比ということですが、引用された元論文を読む限り、これは日本人ではない小中学生をサンプリングしたもので、我々日本人の、しかも成人した人にも再現性はあるのでしょうか?」

先生からの回答は、

「それはわかりません。科学とはそういうもの。もう少し言うと、量なのか質なのかもわからないのです。ですが、大いに参考となる値であることには違いません。」(山下慶の脳内訳)

この回答には合点がいきました。

この分野の科学的な根拠には、統計学の性質上、異常値を排除した中央値による評価や、サンプリングのバイアス(こうした結果が得られるはずだという思考)が存在するので、「絶対的な結論」とは言い難いところがあります。(近年では追試で覆る研究が散見され、衝撃的な報告が続いています。)

さらに、小学校の学習指導要領にも採用されているラーニングピラミッドという概念もありますが、これも根拠が大いに疑われています。

ラーニングピラミッドは、研究データが途中で独り歩きしてしまい、ピラミッドに意図しない学習効果を表す効果数値(○%)が併記されている、というのが実情です。

とはいえ、その概念は、実体験の通りの効果があると感じる人が多いため、日本ではそこまで騒がれるような事態には至っていません。

以上のように、科学的アプローチ故の欠点を攻め立てると、いよいよ何が正しいのかわからなくなってきますね。

そうなんです。突き詰めていくと、自分に合った学習法は、自分で模索していくしかないのです。

勿論、前述したとおり、自分の直感だけで選択肢を絞るのはお勧めしません。

効果測定をする必要があります。(これが意外と難しいのですが…)

そう、私の場合は一番効果が高かったのが「書評」だったわけです。

冒頭、記憶術を話すと言いながらも、読書と書評の話をしたのは、私なりの記憶術を紹介したわけです。

社会人になれば独学の機会が増えます。

科学的な手法を参考にしつつ、何かしら工夫をすることで、自分なりの学習スタイルを確立する必要があります。

これを古くは「学問」と言います。

人の脳の性質は少し触れたとおり、優秀な忘却機能が備わっているので、これをうまく逆手に取ります。

そして、人に教えることが一番効果のある学習法と言われますので、この環境は720文字書評という制約を与えることで、自ら作り出せます。(他人が納得することを目的にすると、レベル感の調整が難しく、運に左右されます。)

また、本を読むときやアウトプットは、声を出しながら、時には筋トレしながら行います。音読ではなく、本と対話をするように話します。

これが、自ら「問」をつくり、そして調べて思考を掘下げる「学」びかた。

本来は学生の頃に体得すべき「学問(≒学習の型)」ですが、社会人になっても学習の型が無い人がいます。

どうも人は思考的に「ちょっとだけ辛い思いをして、最大の効果を得よう。」と勘定の合わない小手先のテクニックに飛びつく傾向があるみたいです。

そして、まんまとキャッチーな書籍を購入したり、高額のセミナーに参加してカモられるわけです。(私も心当たりはあります。)

つまり、本質的な学問(=自分に合った学習の型)を身につけないことには、いくら科学的に優れた学習法を採用しても、合わないものは合わないのです。

この事実を知っているか知らないかで、もしかしたら遠回りせずにことを成すことができるかも知れません。

まずは、理論的に正しかろうことをやってみる。

その際に、理論はしっかりと理解し、自己の目的を強く明確に意識する。

続けるかどうかは、効果の現れ方次第。

『自分よりも優れていると思った人がやっているからと言って、必ずしも自分に効果のあるやり方とは限らない。』

きっとこの最後の二重カッコの言葉は、Twitterでtweetしても本質的な意図を理解できる人は少ないだろうなと思い、ここに長文を残しておきました。


以上、山下慶でした。

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慶 / 法規塾
建築法規に関する悩みや課題に対してTutorialや解説動画をYouTubeに投稿しています。建築行政11年以上の経験と実績を基に、これまで誰にもできなかったサービスを提供いたします。