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いじめられてわかったこと

いじめられてわかったこと、それは、いいんです、人は人から人へと渡り歩けば・・・。

私は小学校4年の時に、それまで1番仲が良いと思っていた女の子から無視されるようになりました。女の子本人がそれをどう捉えていたかは分からず、私もそれがいじめだとは認識していなかったのですが、ただただ毎日つらくて、相手を殺して自分も死ぬ方法を真剣に考えていました。

彼女の態度の変化は突然やってきました。

ある朝、教室に入ると、彼女は私の声には反応せず、チラッと細めた目を向けてきました。どうしたのだろうかと思いつつも、周りの子たち(彼女を筆頭としたいわゆる女の子グループのメンバーたち)が私のことを見てくれたので、何気なくいつものようにグループに入り、今日は特別な日だと思って一日を過ごしました。

しかし、それは特別な日ではありませんでした。彼女の態度の変化は続き、疑う余地の無い物となっていきました。

実験室に行く時、グラウンドに行く時、いつも一番に私の名を呼んでいたのに、「みんな、早く行こう」と周りの子を急き立て、私を一瞥して立ち去るようになりました。それでも現実を受け入れられない私は、周りの子がかろうじて私に残した目線を頼りに、急いで荷物をまとめ後をついて行きました。

やがて、彼女のいないところでは私と話をしてくれていた周りの子たちも一人また一人と私を無視し始めました。

彼女たちがそうなったのには、それぞれわけがあったのだと思いますが、その中の一人が決定的に態度を変えるきっかけは私が自分で作ったと思っています。その子がある日、私の机の上にゴキブリの絵を描きました。私はヤツが夢に出てくると叫びながら起きるほどに、近眼のくせに家の誰よりも早くヤツを見つけるほどに、とにかくヤツが嫌いで、怖くて仕方なかったので、机の上に鉛筆で描かれた絵を見て泣きました。それは純粋に怖かったのですが、悲劇のヒロイン的な気持ちもあり、今思えば大袈裟な泣きかたでした。そして、それが、その子の癇にさわったのでしょう。それを機にその子は私を本当に嫌いになりました。

そんな日が随分と続いたある日、幼稚園から一緒だった女の子が私のあだ名を呼んで「こっちにおいで」と誘ってくれました。私はとても驚きました。いつも自分が見ている方向とは全く違う方向から声がしたからです。それまでの私にとって教室は私を無視した女の子とその半径2メートルくらいの広さしかありませんでした。しかし、教室はもっと広かったのです。振り向けば、ちょっとおとなしいグループ、すごくおとなしいグループ、キャッキャッ言い合うグループと他にもグループがあったのです。

「こっちにおいで」と言われ、私は緊張しながらその子たちが座る席へと移動しました。そして、確か最後には笑っていたと思います。

以来、私は一番仲が良いと思っていた女の子に自分から近寄ることはやめました。クラスの他の子から「いじめられてるんだ」と思われるのが恥ずかしくて、前と変わらずその女の子の1番のお気に入りだと見られたくて頑張ってきましたが、いざ離れてみると、私がどの子と一緒にいようと周りは気にしていないことが分かりました。

だからいいんです。恥ずかしがらずに、人は人から人へと渡り歩けば。そしていずれは自分が渡り歩かれる漂着先になれれば最高です。

今日またそれを実感しました。安心させてくれる場所は必ずある。見落としているだけですので。

追記:
記憶はとても曖昧で、一つの事実を自分の都合の良いように変異させます。この文章も私の変異した記憶に基づいていることをお許しください。


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