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イノベーションとは苦しいけど楽しい行動のことである

行動できないのはダサいよね

朝mtgをしながら出てきたことがある。

僕らは行動をもっとしないとダサいよね

アイデアがたくさん出て、描きたい未来が出てきているのに、僕らは行動をできてなかった。
それを2人で自覚した時間だった。

そこから対話が始まった。
そして答えはすぐに出た。

なぜ行動できないのだろう

まず出てきた問いはなぜ行動できないのか。

答えはすでにお互いの中にあった。

新しいことを始めることで、妬みや恨みや否定や、人に嫌われることや、そういうストレスがもう怖い。ただそれだけだよ

そうだ、マイノリティとして、新しい価値を創っていく中で生まれる、「理解されない」という気持ちになることがとても辛いのだ。

だから日々の日常をから極端にはみ出たプロジェクトを旗を掲げてやるのが怖い。

まさにリーダーの孤独の1種だった。

たくさん傷ついてきたからだよな

いや待てよ、昔はもっとズカズカと思いで突っ走ってきたじゃないか。
途端にどうした。なんで思いで突っ走れなくなった。
自分の粗探してくる人たちからの目が怖くなった、なぜだ。

そんなことは少し考えただけで、すぐに答えが出た。

そうか、たくさん傷ついてきたからだ。

イノベーションって苦しいんだよ

僕は組織の中でも外でもひたすら、課題を見つければPJTを立てて行くタイプで、なにかをひたすら同じように回す仕事は得意じゃない。
いやその仕事に正直自分の中で面白みを感じない。やるけど、楽しくない。素直にそう思う。
だからその仕事は朝に片付けて、日中はバンバン動いていた。

だから日々「もっとよくできないか?」と問いを立てて懸命に動いている。
しかしながら、ここ1年間は常に動くのに疲れてしまった。という感じだった。

イノベーション疲れだった。

イノベーションとは理解されない。
新しい価値を創るとき、誰かに自分の求めていることと、そしてあなたの求めていることを深いところで調和させる必要がある。
それはとても繊細で、かつ繊細であるがゆえに、微妙なズレが許されない。

時に否定され、時に理解されず、時に敵だとみなされる。
陰口を言われ、妬まれる。

イノベーションとはそういうものだ。
イノベーションってかっこいいけど、苦しい。

そしてはじめは孤独だ。これでもかっていうくらいに孤独だ。

でもね、楽しいんだよ。そう、楽しいんだ。

孤独から始まるから、見たい景色があるから。

でも、だから、自分のことを信じてくれている人の存在を自覚できないときに、イノベーションにより病んでいく。

正しいことはいつも少数

そんなことを語りながら、思いながら、
思い出したnoteがある。


僕が中学から好きなサカナクションのボーカル山口一郎( @SAKANAICHIRO)とフリーアナウンサーの小川さんの対談だ。

印象的だったところがある。

山口:正しいことって、最初はいつも少数なような気がするんですよ。でもそれが本当に正しければ、いつかそれはマジョリティになると。それは諦めないようにはしたいなと思っていて。

僕はミュージシャンなので、音楽の中で、本当に美しいものを作ろうとすると理解されないものになっていく。はるか遠くのものというか、人が手を伸ばそうともしない遠いものになってしまうけれど、それが本当に美しかったら、いつか手を伸ばしてもらえると思うんですよ。

ただその、手を伸ばしてもらうために、手が届く距離の一歩先のこと、横並びじゃなくて、手が届く先の一歩先のことをやらないと、その先にまた進んでもらえないなという気がしていて。

いつだってそうだ。
「コモディティ化」する中で、時代の変化とともに、正しさは変わりゆく。そしてまた、その「正しさ」ってのも、「いつまでも危ういもの」である。
だからこそ常に「ポジティブに疑い」、より良いものにしていく、そしてそのより良いものは紛れもなく、「一人の人間」から生まれている。
だからこそはじめは「常にマイノリティ」である。
そしてそのマイノリティさを、少しずつ「社会に問いを投げながら対話」をしながら創っていく、「調和」させていく。
そしていつの日か、自分がそこに必要なくなる。そしてまた同じ繰り返しをする。
それは寂しいけれど、充実感ある出来事なのだ。

場を創るという生き方

山口一郎が「音楽を仕事とは思ったことがない」と語るように僕は、「場を創ること」を仕事と思いつつ仕事だと感じていない。
責任感あることという意味では仕事だけれど、やらされてるわけじゃない。
やりたいから常に、組織構造のことに向き合い、コミュニティに向き合い、時には一人の人との場に向き合い、イベントの運営タイムラインや、そのリアルなイベントに向き合ってる。

そこに必ずあるみんなの中の願いを叶えたくて、いつも悩ましいくらい考えてる。
だから常に満足できない。もっとできると、もっとやれると、だから苦しい。
自分の力の無さにいつも絶望してる。

自分が生きる意味

でも、それが僕の生きるということなのかもしれない。
孤独であろうと、嫌われるかもしれないけれど、自分が大切だと思うことを常に問い続け、動き続け形にし続ける。

そしてその過程で常に生かされていくことを実感する。

僕はとても大切で好きな人たちがいる。
それは自分の弱さも強さも、全てをそれでいいから頑張れと言ってくれる、強く弱い仲間だ。

その人たちの存在を糧に僕は独りじゃないことを信じて進もうと思う。

最後に、そんなことを昨日夜中に自覚してくれたツイートを貼り付けて終わりにします。

辻愛沙子 ( @ai_1124at_ )


孤独な自分も愛そう。
その自分のことを必要としてくれる人がいることを自覚して。

意図では山は動かない
ブルドーザーが山を動かす /ドラッガー

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高橋 奎  
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