金木犀 2
(金木犀 1 の続き)
4月も終わりかけのある日曜、母に連れられて少し遠くのスーパーに来ていた。母がレジに並んでいる間、私は一人、店内をぶらぶらしていた。と、その時、聞き覚えのあるやや低めの少し鼻にかかった女の子の声に呼ばれた。
『ん?誰だろう?』と、声が聞こえた方を振り返る。
マリコちゃんが特売品でいっぱいのワゴンの向う側に立っている。その姿は、いつもの中学校の制服ではなく、明るい色のブラウスであった。そして、学校では見たことがない、屈託のない笑顔で楽しそうに私に手を振っていた。
「えっ」と驚いている私に「またねっ」とだけ言うと、あっという間に人混みに消えてしまった。
それまでたった12年も生きてこなかったが、その人生の中で最も大きな胸の鼓動を覚えた。例えて言うならば、「モノクロのサイレント映画しか見たことがなかった人が、いきなりハイビジョンの動画を見た」時のような衝撃であった。そして、この時からマリコちゃんは私の心の奥の深いところに勝手に住み着いてしまった。
スーパーからの帰り道は、けっこう急な上り坂であった。その坂道で自転車のペダルを漕ぎながら、頭の中ではあのマリコちゃんとの「たった数秒間のハイビジョン動画」を何回も何回も再生していた。いつもなら登り切れずに途中から自転車を押して上がる坂道であったが、この日はこれ以上できないぐらい激しくペダルを漕いで、ついには登り切ってしまった。
『なんだったのだ、あれは⁉』
この『あれ』とはマリコちゃんのことではなく、人生最大の胸の鼓動の方だった。
それからマリコちゃんのことが頭から離れない。たった一人の学校の行き返り、授業中や、家で机に向かっている時もマリコちゃんの事が頭から離れない。ノートにマリコちゃんの名前を書いては、あわてて紙が破れんばかりに消しゴムで消し落とす。そして誰も見ていないはずの背後に本当に誰もないことを確かめて、ほっとする。そんなことを繰り返していた。
『もしかして、マリコちゃんのことが好きになっちゃった?これって 恋?』
友達もほとんどおらず、恋バナなんてしたこともない私には、口にするのも恥ずかしい言葉が頭の中を言葉が駆け巡った。
『でも、女の子だよ、マリコちゃん。もしかして、私、レズビアンってこと!?』
今では洗い話であるが、まだインターネットなどない時代の中学生にとって、未知の言葉の唯一の情報源は、国語辞典であった。「同性愛」、「ゲイ」、「レズビアン」、「ホモセクシャル」「バイセクシャル」といった思いつく限りの関連する言葉を学校の図書室の書架に並ぶ国語辞書で、恐る恐る調べた。すべての国語辞典は、ぶれることなく、端的に言葉の意味を突き付けてきた。
意味は分かった。だが、私の心と頭の中に起こった「大事件」はちっとも説明されていなかった。世の中のほぼすべての仕組みが「男と女の組み合わせ」を前提にできていることに気づき始めた頃である。自分の将来には「何かとんでもないことが待ち構えている」というぼんやりとした恐怖心と「自分はたった一人なのだ」という絶望的な孤独感が胃袋の底の方からにじみ出てくるのを感じた。
(金木犀 3 に続く)
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