心地芸術家ならOK?
今の僕は家具デザイナー、家具作家、言うならばそんな感じで活動しているけれど、工作技術は技術専門校で学んだものの、デザインや美術については、専門的な教育は受けていない。それについては少し学歴コンプレックスがあって、そういった教育を受けた人より何かしら劣っているんだろうなって思ってしまうこともある。まぁよくある話だけど。
僕は幼い頃から絵や音楽に惹かれていて(あ、あと車)、なんて言うか、感性に合うものに出会うと、よくシビレてた。ちょっと器用だったおかげで、評価される機会もあり、そんな自分を受け入れていた。両親もそのことは知っていたけど、実際に美術や音楽、デザインなどを目指そうとすると、生業としては不安定な印象からか、もしくはそこまでの才能とは評価していなかったからか、賛成してはくれなかった。結局家業を継ぐことができるように大学受験していたが失敗して、妥協的に別の道へ進んだ。これもよくある話だよね。
大学生活は学校に行かず留年するし、ろくに学びもせず友人のお陰でギリギリ卒業した。今でも本当に卒業したか曖昧になるし、夢の中ではまだ卒業していなかったりする。でもその間、バンドで音楽は作ってたし、たまに絵も描いたが、結局なんとなく就職した(車欲しかった)。その後最悪の過労と会社の倒産という目に遭うという、別の意味で僕を成長させてくれる経験になるのだけれど。
今思えばいつでも創造が僕の全ての根源であった気がするし、そこに何かしらの自分なりの美を追い求めていたことは間違いなかった。それは家具でも絵でも音楽でも同じだ(実は僕にとって車も、外観、インテリアの雰囲気、エンジンや排気音が重要という意味で同じなんです)。家具は興味もあったし生業にするために技術も歴史もデザインも猛勉強してきて、常にもっと自分の感性を具体的にできる要素を探しているから、情報も知識も経験も日夜積んでいるつもりではある。でも、家具でさえのところ、更に絵や音楽はそこまで時間は費やせていないし、高度な教育も受けていないこともあって、素人の趣味だと客観的な自分が決めてしまう。ま実際そうだし。
だけど、よく考えてみれば、学歴や経験だけで良し悪しは決まらないし、自分だって様々なクリエイターやアーティストの作品をそういう視点だけで判断している訳ではないんだよね。そう思って、絵や音楽も自分の表現できる要素として大切にしようかなと思うようになった。知識も技術も脆弱だけど、自分なりの美を表現できるように、そのときやれる方法でやればいいだろうと。
それで、絵を描いた。
何の意味も問いかけもない。ただ好きな色を作って、何となく塗って、何となく形を作って終わる。明確な意図は特にないけど、自分が心地よいと思えたらそれでいい、というゴールしかない表現。これは絵なのか?でもまぁそれは見る人の課題でいいんだろう。アートってそういうもんでしょ?
でも気に入ったから、ウチの展示室に掛けてみたら分かった。
「これは絵だけどインテリアでもあるなぁ。」
絵を描くことには、先に書いた自信がない部分があるにしても、飾ったらインテリアとして空間に調和して、いい雰囲気を生み出している。たとえその絵が評価されるに値せずとも、僕は僕の美を空間で作ったと思ったら、それは本業の域だし、そういう意味なら自分でも評価できた。
そう考えれば、音楽だって、音楽家がじっくり聴けば素人っぽくても、アンビエントとして心地よい空間や時間を表現すると考えれば、それは自分の領域なのだと思えるかもしれないなと。
結果、いずれ創造されるものは僕の美や心地よさであり、受け手がどう感じるかは自由で、コンプレックスなんて、いかに自分の思い込みのどうでもいい事でしかないかということだね。知ってたけどね。知ってても思っちゃうのが厄介なんだよね。もういい歳なんだけどね。
ということで、まぁ知識だ技術だ経験だなんてことであれこれ評価される場面もあるにても、重要なのは人の評価ではなくて、自由に自分の求める気持ちいい要素を探して表現してただ世の中に披露して誰かの何かの影響にしていくか、というそれのみが、表現者の、全ての人の役割という事でいいんだねって再確認しました、って話です。何度目だって感じでもあるけど。
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