「フードロス削減」は、環境・倫理の問題としてみるべきか?農業者の視点から。
「もったいない精神」といったところから
「フードロス削減は、なんとなく環境や倫理的に善」
という感覚を肌で感じたりしますがちょっと違和感があります。
畑に野菜を捨てると、人間はその野菜を食べませんが、代わりに動物や小動物、そして最後は微生物などが食べて分解する、いわゆる「土に還る」というプロセスにつながります。
人が食べることを、他の生き物が食べることより「善」とする倫理的な理由は私には見つからないし、結局土に還るので環境的にもそこまで大きな問題ではなさそうです。
むしろ、人間が食べたところで吸収分解排泄して、それを他の生き物たちが分解するわけですから、環境への影響ということでいえば、フードロス削減のために人間が車を使って集めたりあちこちに運んだりする環境コストも気になったります。
フードロス削減を論じるならば環境や倫理的な問題ではなく、以下の二つの経営・経済における実践的な問題として正面から論じるべきでしょう。
①経営改善
②食の分配
①は、せっかくコストをかけて作った食べ物を廃棄せずに収入にできれば収益の向上につながる、という視点。
②は、貧困対策や富の効率的な分配という経済の分野における課題であって、流通・物流といった実践的な分野を含む視点となります。
なんにせよ、フードロスを環境や倫理の問題として考えるのは、
「人間活動」を特別視しすぎ
という気がしてこの記事を書いてみました。
別に、「人間が食べること」はほかの生き物が食べることより特別という気はしません。人間が食べずに余って捨てられたものは、他の生き物の幸せにきちんと貢献しているように見えます。私は山羊さんを飼っているだけになおさらかも (^ ^;)
植物なら大抵おいしそうに食べてくれます🐐🐐
終わり。