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エゴイストの嘔吐

書くことは嘔吐すること。これが一番しっくりくる。

口の中に指を突っ込んで、どろどろと、ざらざらとした吐瀉物をまき散らす。
胃液の匂いも気にならない。

涙、鼻水、汗。体中からあらゆるものが排出されて、それでも私の意識はあふれかえる言葉にのみ向いている。

そうやって、文章を書いている。



始まりは何だったか。
気が付けばいつも何かしら書いている。そんな子供だった。

ありもしない空想の世界を飛び回り、自分が主人公となったつもりで別世界の友人を作ったり、巨悪と戦ったり。確かそんな純真無垢な書き手だったような気がする。

成長してからも、同人誌という形で自分の物語を届け続けた。
主人公になりきる。あるいは第三者になりきる。
さまざまな視点で書いた小説は、思いがけず多くの人の手に渡った。

それは私にとってとても楽しく、かつて憧れた作家の仕事をしているかのような錯覚に陥った。

──────必ず終わるときがくる。

自分で働いたお金で趣味を楽しんでいる時間など、私には過ぎたものだ。
親のために、きょうだいのために、ずっと「いい娘・いい姉」を演じ続けなければならない。
その人生しか、私には許されない。

熱気あふれる東京ビッグサイトで、20代の私は冷淡に自分の人生を決めつけていた。

徹夜して書いた小説を、遠くから来てくれたお客様に「ありがとうございました」と手渡す。
笑顔でやりとりをする裏側で、明日にも終わるかもしれないこの幸せを少しでも覚えておきたくて。
何せ、穏やかな日々が崩壊するのは一瞬なのだ。

東京の街は「いつまでもここにいたい」と思わせるには十分な魅力があった。
50歳を目前にした今でも、あの雑多な中で「何者でもない」自分になりたいと思ってしまう。



30代は自分のセクシュアリティと向き合って、やはりそこでも文章を書いていた。

最もこのころ、私は仕事に忙殺されていて上司からハラスメント全部盛りを食らっていた。
だからよけいに、セクシュアリティについて意識せざるを得なかったのだろう。

女に生まれ、女と自認し、そこに違和感がない。嫌悪感もない。

人と違っていたのは、私には恋愛対象というものがないということだ。
性欲の対象もない。

20代の終わりごろから、
・「恋愛したい」と思わなければならない
・「結婚したい」と思わなければならない
こんな思考に囚われて、随分滑稽な真似をした。

行きたくもない婚活に参加し、行きたくもないデートに行った。
世間一般でいうところの「女性らしい女性」であらねばと頑張ったその時間は、結局大きな疲労感だけを残し、私はそれ以降「パートナーも家庭もいらない」と公言するようになった。

だから自分が上司からそういう目で見られても、女性として「怖い、嫌だ」という想いよりも、卑劣な上司への攻撃的な気持ちが強かった。

自分より非力なものにしか強く出られない矮小な男など、この手で潰してくれる。
「女にみられてよかったじゃない」とのたまう低能な周りの人間の口を押さえ、泣いて謝るまで理詰めにしてやりたい。

あのころは、ずっとそんな風に思いながら働いていた。

自分が世間から見れば異端だということはよくわかっていたのだ。
当時、まだ私のような人間が他にいるのかも分からなかった。
「アセクシュアル」を知ったのは、随分後になってからだ。

子供の頃の性虐待が私を歪めたのだと言えば、それはそれでシンプルだ。
もちろん、それが最も分かりやすい。
あの出来事がなければ、私はここまで家庭を持つことに懐疑的ではなかっただろう。

しかし「誰の事も愛せない」というのはまた別問題だ。
私と同じような体験をしたとて、普通に結婚・出産を経て家庭を築いている人はたくさんいる。だから私がかつて「女」として虐げられたことは、私に恋愛対象がないこととそこまで関連していないはずだ。


午前1時。熱いアメリカンコーヒーをすする。
ここまで書き進めると、こみ上げる嘔気はほぼ消失していた。

私にとって、文章を書くことは趣味であり、排泄でもある。
つまりは、生命活動なのだ。書かなければ私は私として生きられない。

書いていたから、幸せだった。
書いていたから、人と繋がれた。

書いていたから、心を蝕む記憶や感情を駆逐できた。

誰の目にも美しくないと知っている。

もともと、読んでくれる誰かを感動させようと思ったことがない。だってこれは私の排泄物。
腹の奥からとめどなくあふれる吐瀉物なのだから。

そんなものを目の当たりにして、いったい誰が心を動かすというのか。

「私はかわいそう」と言わんばかりの文章を読み返し、私はまた胃がぐるぐると回転しているかのような感覚に襲われた。

ここに書いてあることはすべて実際にあったこと。それを書き連ねる私の文才がないせいで、ひどく悲劇のヒロイン気取りになってしまった。

──────胸糞悪い。

自分の文章を読んで、ここまで不快になる瞬間はあまりない。

そう、生きていれば頭痛に悩むし肩こりに嘆く。
そして、激しい腹痛や嘔気にも見舞われる。

同じことだ。
だって私にとって、書くことは生命維持に欠かせない行動の1つ。自分の書いたものが身体に影響を及ぼすのも至極当然なのだ。

自覚したからには、私はまた便器に顔を突っ込んで、指を喉に突っ込んで、胃が空になるまで吐き出し続けねばなるまい。

誰にどう思われようが知ったことか。
私は私が快適に生きるために、今もまたびちゃびちゃと吐き散らすのみ。







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