狐の桐子ちゃんと狸の保君
愛植山には保君というオスの狸と、桐子ちゃんというメスの狐が住んでいました。
愛植山の西の斜面に桐子稲荷という社があり、そこに桐子ちゃん、東の斜面には洞窟があり、そこに保君が住んでいました。二人は東と西に別れていたので、出会うことはありませんでした。
しかし三月十一日に東日本を襲った大地震によって山肌が崩れて住みかの環境が大きく変わってしまいました。愛植山の地下には東から西に断層帯があり、この日の地震で断層がずれたのです。
愛植山の東から西に山が崩れて生活が困難になりました。そこで日当たりのよい南斜面に引っ越すことにしました。桐子ちゃんは左回りに南斜面に、保君は右回りに南斜面に移動しました。そうして二人は南斜面の小川の岸辺でばったり出会ったのです・・・・・
保君はきつね色の毛皮がきれいだなと桐子ちゃんを見て思いました。桐子ちゃんは保君を見て焦げ茶色の毛並みがカッコいいなあと思いました。二人は小川を挟んで挨拶します。
「僕は狸の保だよ」
「私は狐の桐子よ」
「こんにちは」
「いいお天気ね」
「地震のせい?」
「そう。家が崩れちゃったの」
「僕もそうだ。この辺りは日差しが少し強いけど、きれいな小川もあって住みやすそうだね」
「私もそう思う」
「二人で暮らしたら楽しそうだね」
「私もそう思う」
「きれいな小川もあるし、この近くにすみかを探そうか」
「そうね」
こうして狸の保君と狐の桐子ちゃんは二人が住める大きさのすみかを探しました。小川の西の斜面に土で土手になっているところがありました。ここに穴を掘れば住まいになりそうだね。
狸の保君は焦げ茶色の毛皮ですから、土がついても汚れが目立ちません。でも狐の桐子ちゃんはきつね色の毛皮ですから土の汚れが目立ちます。ちょっと嫌だなあと思いました。
そこで小川のまわりに生えているススキの木を齧って切り取り、保君が掘ってくれた穴に敷き詰めました。これなら寝転んでも汚れません。
保君はこんなに豪華な住まいは初めてでした。桐子ちゃんは言います。
「いい、家に入る前には小川で足を洗って綺麗にしてね」
「うん」
保君は良いお返事をしましたが、ちょっと面倒だなと思いました。保君はそれまで足を洗ったことも、顔を洗ったこともありませんでした。皆さんも猫が顔を洗うのは見たことがあるでしょう。でも犬は洗いませんよね。狸と狐もそういう関係でした。だから習慣の違う二人が住むという事は、一人暮らしの気楽さとは別のわずらわしさがありました。
でもエサ取り以外の夜の退屈さを紛らわすには一人では味わえない楽しさがありました。特に狐の桐子ちゃんは物知りで、猿と蟹の話や狸とウサギの話、カメとウサギの話もありました。色々な話を毎晩聞かせてくれたのです。
保君は一人で過ごしていた気楽な夜の代わりに、二人で過ごす楽しい夜が大好きになりました。桐子ちゃんも自分の話を目を輝かせて聞いてくれる保君が大好きです。それにエサ取りも上手です。
二人で暮らし始めた最初のころ、お互いにおしっこをした後の臭いが気になりました。自分のおしっことは違い、臭いのです。それは気になる臭いでした。不思議なことに一緒に暮らすうちに臭いを感じなくなってきました。
春から夏へと季節は移ろい、やがて木の実がとれる秋になりました。一年中で一番食べ物が豊富な季節です。それでも二人分の冬の食料を貯めるのはやはり大変です。
そこで桐子ちゃんは私が人間からもらってくると言って、頭にクリの葉っぱを乗せて、くるっと前転すると女の子に化けました。
「おっ」
保君は綺麗な着物を着た若い女の子に変身した桐子ちゃんを見て、自分も頭に栗の葉っぱを乗せると、くるっと前転しました。
「あら」
桐子ちゃんは可愛い男の子に化けた保君を見て笑ってしまいました。半ズボンのおしりから太いしっぽが生えていたのです。
「保君、しっぽ、しっぽ」
保君は振り返って自分のしっぽを見ると、頭を掻いて引っ込めました。二人はお姉さんと弟のように見えました。
愛植山を下ると、山里に出ました。所々で犬が吠えます。けっこう怖いです。二人は犬のいない家を探して、玄関に回りました。桐子ちゃんがインターフォンのボタンを押しました。
「それなーに」
保君が聞きます。
「これは家の中の人を呼び出すボタンだよ」
桐子ちゃんは説明しながら自分の体や保君の体がおかしくないかチェックします。
「おやおや、可愛い姉弟だこと」
玄関ドアを開けると、白髪の女性が顔を出しました。
「今日はおばさん。私たち愛植山に住んでるのだけれど、お米を分けてもらえませんか。今冬を越す準備をしているのだけれど、食べ物がたりなくて」
「おや、それは大変だね。ちょっと上がっていきなさい」
「いえ、私達も暗くなる前に愛植山に帰らなければなりません」
「そうかい、じゃあ待っててね」
そういうとお婆さんは奥に引っ込んでガタガタしていましたが、袋に入れたお米を持ってきてくれました。
「おばさん、ありがとう。私桐子、弟の」
「僕保です」
「桐子ちゃんと保君かい。気をつけて帰るんだよ」
「ありがとうございました」
お婆さんはお米の入った袋をスーパーのレジ袋に入れてくれました。保君はその手付き部分に頭を入れて、肩で背負いました。二人は門から出るとき振り返ってお婆さんにお辞儀をしました。
お婆さんは二人が門から出て行くのを見送っていましたが、隣のポチが吠えだしたので、二人が怖そうに道路の反対側に行くのをみて、可愛い姉弟だなと思いました。
桐子ちゃんと保君は愛植山の山道から獣道にそれ、小川のそばの自宅に戻ってきました。お米は保君が首のまわりに背負って運んできました。洞穴に入ると首から外します。
「これだけあれば、一冬過ごせそうかな」
「これでは足りないけど、山を歩けば少しは食べ物も見つかるでしょう」
「キノコなんか見つけたら、さっきのおばさんにお米と交換してもらったらどうかな」
「そうね。それはいい考えかも。さすがは保君ね」
桐子ちゃんに褒められて、保君はルンルン気分になりました。
「僕、明日キノコを探しに行ってくるよ」
「そうね。お願いできる?」
「うん、任せて」
こうして狐の桐子ちゃんと狸の保君はお互いにかばい合いながら協力して暮らしていました。キノコもずいぶん溜まったので二人は愛植山を降りて、お婆さんの家に行きました。
キノコは二人で分けて、保君はレジ袋に入れて背負い、桐子ちゃんもビニル袋に入れて手に下げながら運びました。また隣の犬が吠えています。道路の反対側からお婆さんの家に渡りました。門のブザーを桐子ちゃんが押しました。保君の身長ではブザーまで届かなかったのです。
玄関のドアが開いて、お婆さんが顔を見せました。
「おや、久しぶりだね。今日は荷物があるのかい」
「おばさん、愛植山でキノコを採ってきました。お米と交換していただけませんか」
「どれどれ、おおやこれは立派なキノコだねえ」
二人が運んできたキノコを玄関に並べてみてお婆さんは言いました。本当は一部が黒くなって痛んでいるのも大分ありました。傘を掴んで引っ張たりしたのでしょう。でも、食べられる部分もたくさんありました。
「ありがとう。こんなにたくさん。ちょっと待っててね」
お婆さんはそういうと奥に引っ込み、ビニル袋に二袋お米をいっぱいにして口をゴムで縛って持ってきてくれました。
「これで足りるかな」
「おばさんありがとう。これで冬を越せます」
桐子ちゃんが言いました。
「おばさんありがとう。おばさんのお米すごくおいしいよ」
保君も言いました。
「このキノコは全部食べられるのかな」
お婆さんはキノコを見ながら言いました。
「はい。僕たちが食べているのだけ取ってきました」
保君が言いました。
「ありがとう。それなら安心して食べられるね」
お婆さんはにっこり笑うと、保君の頭を撫でました。保君は照れてもじもじしていました。
「あ、ちょっと待ってね」
お婆さんはそういうと、レジ袋を二つ持ってきて、二人のお米の袋をレジ袋に入れてくれました。桐子ちゃんは手に下げ、保君は肩に背負って
「じゃあおばさん、ありがとう。冬は雪で動けないから、また来年の春に来ます」
桐子ちゃんはそういうとドアの外に出て、保君を待ちました。手に持ったお米が重いので、保君と同じように肩に背負いました。保君がドアから出てくると二人でお婆さんにお辞儀をして、門から道路に出ました。隣の犬が吠えだしました。
桐子ちゃんは首のお米がちょっと重いなあと感じましたが、頑張って運ばなければと、保君を見て、
「頑張ろうね」
「うん。これで安心して冬を越せるね」
桐子ちゃんを見て重そうだなと思いましたが、ここから二人分を背負うのは無理だなと思ったので、だまっていました。
桐子ちゃんが手を差し伸べます。保君は差し出された手の意味が分からなくて桐子ちゃんを見上げました。桐子ちゃんは笑っています。もう一度桐子ちゃんの手を見て、保君は触ってみました。すると桐子ちゃんがぎゅっと握りました。保君の掌に桐子ちゃんの掌の温かみが伝わってきます。
「人間っていいね。こうして手をつなげるんだもの」
「保君、いつもありがとう」
「桐子ちゃんが一緒にいてくれるから僕うれしい」
二人はつないだ手を振りながら山に向かいました。
愛植山に入って、保君は言いました。
「桐子ちゃん、それ僕が持つよ」
「え、二人分だよ。それは無理じゃない?」
「ここからなら二人分運べるよ」
桐子ちゃんは首が擦れて痛くなっていました。我慢してここまで来たのです。だから本当は保君が運んでくれるなら、それはとてもありがたいことでした。でも
「私まだ頑張れるから」
桐子ちゃんがそういうと、保君は
「僕に任せて」
桐子ちゃんの荷物も背負いました。二人分のお米の入ったレジ袋を首に巻いて、保君はバランスをみてみました。背中に二つ背負うより、背中と胸でひとつづつ振り分けた方が重さをさほど感じません。
桐子ちゃんは申し訳なく思いましたが、もう背中と首が痛くて、保君の思いやりに感謝しました。
桐子ちゃんはすすきの葉を組んで、箱を作りました。その箱にお米を入れます。洞窟の床も壁も桐子ちゃんが組んだすすきの葉で覆われています。食物を入れる箱も桐子ちゃんが作りました。保君は桐子ちゃんが葉っぱを組んでいる様子を寝転がって見ていました。こういう手を使う細かい作業は人間の方が向いています。だから桐子ちゃんは人に化けて作業をします。狐や狸の手はモノが握れません。だから人の手はとても便利なのです。
「桐子ちゃん、本当に上手だね。どうしてそんなに器用なの」
「私ね、桐子稲荷というお稲荷さんの祀り神だったの。里山の人たちがお稲荷さんやお饅頭を祀ってくれてね、それで色々人が作るのを見ていたの」
「ふーん、じゃあ昔から人とは仲良かったんだね」
「そうね。人は私を神様の様に扱ってくれたの」
「稲荷社から出てきちゃっていいの」
「あそこは地震で壊れちゃったからね。ときどき直ったか見に行かないとね」
「そうなんだね」
「直ってたら一緒に引っ越そうか」
「うん、でも人は怖いな」
「里山のお婆さん、怖くないでしょう」
「うん」
「だいたい女の人は優しいよ。男の人はちょっと怖い」
「ふーん」
「ほら、おコメ入れておく箱が出来たよ」
「きれいな箱だね。桐ちゃん本当に上手だね」
「私たち化けることが出来るじゃない。昔は人を騙して楽しんでいたけれど、こういう風に人の技術を使うほうがずっと役に立つよね。保君も人に化けた方が魚釣りも楽にできるよ」
「そうかあ、魚獲るのに便利だね」
「例えばね、体洗う時も、人に化けた方が便利だよ。だって手が使えるもの」
「ああ、そうだね」
こうして愛植山では狐の桐子ちゃんと狸の保君が幸せに暮らしましたとさ。