
遠き落日 - 感想・引用
著者プロフィール: 渡辺 淳一
1933年北海道生まれ。札幌医科大学卒。整形外科医ののち、『光と影』で直木賞受賞。‘80年『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で吉川栄治文学賞を受賞。作品は、医学を題材としたものから、歴史、伝記的小説、男と女の本質に迫る恋愛小説と多彩で、医学的な人間認識をもとに華麗な現代ロマンを描く作家として、文壇の第一線で活躍。国民的なベストセラーとなった『失楽園』『愛の流刑地』のほか、『孤舟』『天上紅蓮』『愛ふたたび』など多数の著書がある
今回の記事は、野口英世を描いた伝記です。福島県の猪苗代湖の貧農の家に生まれ、アメリカに渡り、世界的な名声をえた後、53歳の生涯をアフリカ、ガーナのアクラの地で果てるまでの生涯について詳細に書かれています。
この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。
感想
全体を通してみると、すごい人だったという感想。
こんな奴いない。
なぜ、1800年代の猪苗代にこんな人物が生まれ育ったのか?
同郷出身として、皆が思う英世像には誇りを感じるけど、やばい一面を知れば知るほど、評価が分かれると思う。
幼少期
左手の怪我でみんなにバカにされるやつ。
秀才。
母の決断で、上級の学校に通うことに。手を怪我しているから、農作業はできないだろう。勉学の道でなんとかしろというのは英断だと思う。ここにきて、左手の怪我にも意味はあったのだと思う。
ただ、大人の時はやばい面が目立ったが、幼少期は全然そんな描写がない。いつからこうなったのか。
悪い面を見ると、両津勘吉みたいなやつ。
やばいやつ。
地元の英雄とされていた者がこんな人だったとはと思ってしまった。
確かに貧乏育ち、左手に怪我を負うというのは大きなディスアドバンテージだとは思うが、それを考慮したとしても、性格がやばいと思う。
特に借金周りと金遣いの荒さ。
こういうのって社会的にそういう役割を求められていたり、そうあるべきって言われていたのかな。
金を使う時に使った後のことは考えられないのか。気が大きくなって使ってしまうとあるけど、毎回同じ失敗をしているわけだし、どこかで学んでも良いものだと思うが。
性格・行動
バイタリティがえぐい。
自己顕示欲・成功欲がとにかく凄くて、それに支配された一生だったのだと思う。
やっぱり小さい頃に大きなコンプレックスを抱えてしまうと、こういう人生になってしまうのかなと。ただ、そのコンプレックスが無ければ、おそらく世界的な学者である野口英世は生まれていないと思うので、何ともなところはある。
前に「家庭環境・親との関係が良かったら、起業家になっていたと思う?」と質問されたのが印象に残っていて、それを思い出した。
自分が本当に好きなことをやっていたのかどうかはわからない。出世のための道具として、医学・細菌学を使ったという印象。細菌学というのも、当時流行り始めており、成功の可能性が高かったのだろう。
なので、好きなことを追求すると結果が着いてくるみたいなタイプではないのかなと思った。
たまたま医学の道に進んだが、他の分野に興味はなかったのだろうか。商売の道に進んで、大金持ちになるという道もあったとは思うが。
粘り強さもすごい感じる。絶対に失敗させない。成功するまでやるというか。
海外に行くとナショナリストになる人が多い。
家族
父親は頭はよかったが小心者で、百姓には向いていない。酒浸りで、借金魔。
母は負けん気が強くて、粘り強い。
出会い
血脇守之助
毎回とんでもないスポンサー。この人がいなかったら、間違いなく英世は成功していなかっただろう。
英世が守之助に病院を譲り受けてもらって、経営したら良いと進言したのは驚いた。発想力がすごいし、それを本人に言ってしまうのもすごい。
小林栄
英世の才能を見抜く。
アメリカに行く時に、お金を人に頼らずに、自分でなんとかしろと言ったのは素晴らしい。結局、英世は人に頼ったが。
フレクスナー教授。
この人もすごい。単身渡米したただの通訳を紹介している。まあ、あまりにも不憫だったからだとは思うが。
死
最後はガーナのアクラで黄熱病にかかって亡くなる。
自分が克服したと信じていた黄熱病。
自分が本当に好きなものを追求していて、その結果、亡くなるというのであれば、まだ本望だったのかなとは思うが、おそらく英世はそうではないのかなと思うので、残念だと思う。
自分の論文・実績が反論される、間違っていると言われているから、反論しに行く、自分の名誉のために行った印象がある。
引用
上巻
「午後の休みに、そのことをきいた男がいたのです。そうしたらドクター野口は、冗談か本気か、 俺は新しい土地に行く時間が、語学の勉強に丁度いい。今度もニューヨークからメリダにくるまでで、スペイン語を全部マスターできた、といって笑っていました」
大体、野口英世は金づかいの荒い人であった。後年、結婚するという約束で、某女からもらった二百円の大金を、友人全員をひき連れて横浜の一流料亭で遊び明かし、一晩でつかいきったこともある。生い立ちの貧しさからは想像もできない贅沢である。
下巻
「人間というのは、四十までになんとかしなければ駄目だ。創造力も体力も若いうちのほうが秀れている。一応の仕事をする人は、みな四十までにある程度のところまではやっている。俺はいま三十一だが、四十まであと九年しかない。時間なぞはすぐ経ってしまう。俺達が話しているいまの時間も、世界のどこかで誰かが新しい研究をして発表しているかもしれない。休んでいるとすぐ追い抜かれてしまう。それを思ったら眠ってなどいられない。ぼんやりなにも考えず、手足も動かさず寝ているなんてもったいないことだ」
この年、二月十日、日本はロシヤに対して宣戦布告をした。 北欧圈にあって、ロシヤと密接な関係にあったデンマークでも、このニュースはいち早く知らされ、人々は戦の進展について論じ合った。外国生活が長くなるにつれナショナリストになっていった英世は当然無関心ではいられない。このとき、英世が 血 脇 守之助に送った手紙には、当時のヨーロッパの様子がよくでている。
この記事で掲載した引用は、Glaspの機能を使ってエクスポートしています。Kindleのハイライトをエクスポートすることに興味がある方は、以下の記事をご覧ください。
また、この本のトップハイライトは以下のリンクよりご覧ください。