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君主論 - 感想・引用
著者プロフィール: マキアヴェッリ
ニッコロ・マキャヴェッリ(イタリア語: Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。
著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』がある。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した。
今回の記事は、ルネサンス期イタリアに生きたマキアヴェッリの本です。タイトルが示すように君主とはどうあるべきかについて説いた、一見過激に見える内容の本です。
この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。
感想
論語の内容とどう関連させていくのか?建前は論語、行動は君主論みたいな感じなのか。
論語だと恨みには正義を持って対応すると書かれていたが、君主論だとおそらく殺害してしまうはず、これは通じるものなのか、別の話なのか、どうすべきなのか。
ルールを変えないみたいな話は、M&Aなど、会社を買収した時に使えると思う。
より長い間、幸せを続かせるためには表面的には厳しい、冷酷な事を行なっていくのが大事。敵に対して、放置していたり、甘い態度を取っていると、終わってしまう。
読み進めていった時は、ひどい・冷酷な本だなと思ったが、自分の周りの人たちを守るためには、冷酷に見える決断も実は長期的・その人のことを思うと、良い決断だったりする。
ただ、これはその人に関連する人の集団での話であって、他の人は殺したり、切ってしまっている。
実際に自分が冷酷な決断を下さなければならなくなった時に、結果を出すことを信念にするべき。
論語の教えとどう関連させていくか、内面は論語、外面は君主論、両立するもの?
冷酷さとは何か?
人間の生物としての生存戦略はどうあるべきか?
Safety netの社会的意義と構築はどうあるべきか?
引用
残虐について。政権の安定をはかる必要上、一挙になされた場合であり、その後はいつまでもこだわらずに、可能なかぎり臣民に役立つことへと事態が転換された場合である。悪く用いられたものは、初めのうちはわずかな残虐であったのが、時と共に消えるどころかそれが募っていってしまう場合である。
恩義について。恩義を感じながらも、物欲しげでない者たちのことは、褒めそやし、かつ目をかけてやらねばならない。
恩義を感じない者たちのことは、二つの方法において検討しなければならない。すなわち、根が小心で生まれつき勇気を欠くためにそうしているのかそうであれば役に立つ知識の持主として彼らをあなたは最大限に利用しなければいけない、なぜならば平和な時には彼らの存在を誇りにすることができるし動乱の時になっても彼らの存在を恐れる必要がないからけれども故意に下心があって彼らが恩義を感じていないときには、それはあなたのことよりも自分のことのほうを考えている証拠である。それゆえ、君主はそういう者たちを警戒して、あたかも正体を現しかけた敵のごとくに恐れねばならない。
賢明な君主は、いついかなる状況のなかでも、自分の市民たちが政権と彼のことを必要とするための方法を、考えておかねばならない。そうすれば、つねに、彼に対して彼らは忠実でありつづけるであろう。
戦争を避けるために混乱を放置してはならない。なぜならばそれは避けられないばかりか、避けようとすればあなたの不利を引き延ばすだけであるから。
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