その一言に、背筋が伸びた。
第5回の今回は、なんとかしたいの企画。
今回の講師は阿部広太郎さん。講義は、前回の振り返りと講義をした後、3回グループに分かれてそれぞれの企画について話し合う流れで進んでいった。
お題は、
自分のことで、もしくは、
身の回り(社会、世界を含め)のことで、
なんとかしたいと思うことはありますか?
「なんとかしたい」を起点に、
それをどう変えていけるか企画を考え、
企画書にまとめてみましょう。
私は何をなんとかしたいんだろう、課題発表の日から何日も考える日が続いた。
「なんとかしたい」は、いつだって個人的だと思う
課題発表の日から、自分のなかの「なんとかしたい」を考えはじめた。自分のなかのそれは、思ったよりも半径が狭いものが多いように思えた。
・忙殺されていく日々をなんとかしたい
・ロールモデルがいなくて正直つらいのをなんとかしたい
・子育て中の友人を助けたい、なんとかしたい
・いろんなハラスメントで仕事を辞めてしまう人をなんとかしたい
・母親とぎこちない自分をなんとかしたい
どれも、結局は個人的なものだった。社会をなんとかしたいとか、自分のことをなんとかしたいとか、友達の●●をなんとかしたいとか。もしかしたら、この世の中には「そんなのどうだっていいじゃん」と言う人がいるかもしれない。無関心な人だっていると思う。
なんとかしたい、それは私の主観だと思う。それでも、いたって個人的で主観的なものはそれだけ解像度が高くて、考えることも多くて、だからこそ、選ぶべきだと思った。私が選んだのは、「母親とぎこちない自分をなんとかしたい」だった。
母親を「お母さん」と呼んでみたかった
母親とぎこちないと気がついたのは、今年の一月。12年ぶりの再会をしたときだった。両親は私が3歳の頃に離婚、中学入学以来会っていない母親だった。だから、あまりにも久しぶりに会った時、なんて呼んでいいのかわからなかった。「お母さん」、その一言を私は再開していた数時間、一度も言うことができなかった。
「また機会を作って会えたら嬉しいです」とSMSをしてきた母親に、私はなぜか泣いてしまった。どうして同じ東京に住んでいて、血も繋がっているはずなのに、こんなにも遠いのだろう。電車の中で、「ごめんね」と「だって」を頭の中で繰り返しながら、泣いてしまっていた。
私は、「お母さん」と呼べなかったことが悲しくて、悔しくて、「だって」って叫びたくて、それでもやっぱり行き着く先は悲しいだった。でもやっぱり、そうは呼べなくて、それはきっと母親に言いたいこと、知ってほしいことが山ほどあったからのような気がした。そして、それはやっぱり、私が好きな手紙でしかできないような気がした。
そんな私が企画書にまとめたのは、『手紙の伝言板』。
以下は、私が実際の企画書の導入として書いた文章。
いたって個人的な思い。だけど、きっと誰にでも、そういう相手はいるような気がした。いたって個人的なこれは、誰かのいたって個人的な過去とリンクするような気がした。
背筋が伸びた。
講義内、たぶん今回の講義で一番ハッとさせられたのは、企画生たちからの言葉だった。
感動メモにあった自分の企画へのメッセージ、講義内の企画生からの言葉。「伝わった!」「グッときた!」「コラボしたいと思った」「ファンになりました」。
昔、高校生の時に言われたことがあるそんな言葉たち、それでいて、長らく言われることがなかった言葉たちだった。
「あ、伝わるってこういうことか」
阿部さんが何度も言っていた「伝える」と「伝わる」。
違いは頭ではわかっていたけれど、こうして話すと「伝わっていたのか」が手に取るようにわかった。思い出せること、プラスでもマイナスでも心が動くこと。そしてきっと、それを言いたくなること。
「伝わりました!」。
その言葉に、背筋が伸びた。届いたんだな、と思った。
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企画メシ5回目。もうここまできてしまいました。
長いような短いような、そんな気がしています。
今回の企画メシ、いろんな人からいろんな感想をいただいて、タイトル通り背筋が伸びました。
自分のやっている仕事でも、言葉にすることでも、「伝わりました!」、それに尽きるのだなと思う。
どうしたら伝わるのかはまだまだ考えていかなくてはいけないけれども、今回の企画メシは今までの講義が少しだけつながって見えたようなそんな回でした。
あと2回、まだまだ走り抜けたい。
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