その熱量に、嫉妬した。
言葉の企画の報告会を終えて、京王井の頭線が通る下北沢を歩きながら 無意識に出た言葉がそれだった。
言葉 と 企画。
どちらも私にとっては惹きつけられる単語で、言葉で、全六回のそれに参加しなかった私は報告会に行ってみることにした。ツイートを目にして、すぐに申し込んだのも覚えている。
始まって二時間、こんなにあっという間なのか と感じるとともに、文字通り、その熱量に、嫉妬した。
正直、嫉妬という言葉が最初に浮かんだものの その言葉の選択が正しいのかはわからなかった。悔しい の方が正確だったかもしれない。
考えてみれば 幼い頃からそうだった。それは親の躾が原因なのか 家庭環境なのか、よくわからないけれど、何か新しいことを始める ということにとてつもない抵抗を感じていた。
新しくバイトを始めるのも、新たな人間関係を築くのも、新しいことを始めるのも、なにもかも。何かが変化することを強烈なほどまでに恐れた。自分自身が変化すること、自分の周囲が変化していくこと、そのどちらもが怖くて仕方がない。
何も変わらない。それは安定で、安全で、明日も今日が続いていくという安心があった。でも、何も変えない というのは、ただの甘えだった。変わらない環境、変わらない人間関係、変わらない自分。でも本当は、変わらない じゃなくて 変えない だけだったように感じる。
そんな心地よく感じていた生ぬるさに いつからか変な違和感を感じるようになって、気持ち悪くなって、考えては胃が痛くなる日々が続いた。
Twitterをするようになって、もう六年目になるけれど いろんな人に出会って いろんなことを聞いた。新しい事業を立ちあげようとする人、夢を諦めて会社員になった人、バイトをしながら歌い続けてる人。
この世には自分の知らない世界がこんなにも広がっていたのかと、画面を通して知った。それとともに、自分の見ていた世界の狭さと薄暗さと彩度の低さを知った。こんなに様々な色を放っている人たちがいたのかと思い知った。
きっと、言葉の企画の報告会で 悔しくなるのも当たり前だったし 必然だった。何か変化をしようとしていたり 何かを変化させようとしている人を目の前にして、悔しかった。
自分を問いただした。
お前はその程度なのか、お前の熱量はどうした、お前はそこまでか、って。
阿部広太郎さんにもらった言葉、「自分の道は自分でつくる」。その言葉にすべてが詰まっているように感じた。
逃げていくのはいつだって相手じゃなくて 自分自身だったなと思い知った八月最後の日の空は、なんだかいつもよりも透き通った青に見えた。
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