勝手に君が幸せになりますように。
初めて会ったのは、よく晴れた日 だった気がする。たしか七月四日。まだ梅雨も明けていない木曜日。遠い昔のように思えるのは、金木犀の匂いに 秋を教えてもらえたからかもしれない。
君はよく笑う人だった。そのくせ、なんだか瞳の奥では何を考えているのかわからないような人だった。瞳の奥にある悲しみに似た何かを 隠すようにして笑う人だなと思ったのを今で覚えている。知ったように言うなって言われるかもしれないけれど、それが私が抱いた君への第一印象だった。
君は、私の首元に顔を近づけては「いい匂いする」と小さな声で呟く人だった。今思えば、誰にでも似たようなことを言う人だったのかもしれない。でも、君は私の香水を初めて褒めてくれた人だった。あの香りは、もう纏うこともないような気がしているけれど。
映画を観に行ったとき、上映後、「髪ボサボサになってるよ」と言われたのはいつまで経っても忘れないような気がする。正直言わなくても、私はムッとしていたし、どうせこんな文章を書く日が来るのなら 私だってちょっとは言ってやればよかっただなんて思った。「君はポップコーンをずっと食べていて、子供みたいだね」って。
二人ともどこかで知っているような距離感だったなと私は今でも思う。早くても遅くても、これはどこかで終わりを迎えるんだろうなというそれ。
だから、突然の終わりもそんなに驚かなかった。涙が頰を伝うようなこともなかった。ただ、ちょっと信じたくなった私がバカみたいって思っただけ。少し目の前がぼやけただけ。それだけだった。
それでも、君と出会って知ったこともあったりして、それは この世には自分にとって代わりがいる存在とそうでない存在がいるということだった。たぶんだけど、君にとっての私も 私にとっての君も、それぞれにとって誰かの代わりだったのだと思う。
まぁ、そんなこと、一世一代の大恋愛でもないから別にどうだってよいのだけれど。きっと君だって、少しバカにした感じで 大袈裟だよ って言ってそうだし。
きっと、代わりがあるものなんて いくらでもある。人もモノも場所も。だけど、命は一つだ とかそういうのじゃなくて、代わりがないもの、『君』でなくてはいけないものだって きっとどこかにあるはずで。
誰かにとってのそれが自分だと思っては 喜んで、違うことに気がついては 涙を流す。そんな人達でこの東京はできているようにさえ 感じたりする。
それでも、そんなこの街で、君が誰かの大切になって、君は君の大切な誰かを見つけて、それを少しの強さと優しさをもって 抱きしめていてくれたらいいな と思ったりする。憎しみでもない、復讐でもない、愛でもない、恋でもない、願いというそれとも違う。これはきっと、祈りみたいな何か。
冬へと移りゆくこの東京のどこかで、勝手に君が幸せになりますように。
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