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「現在」がそんなにえらいのか、ってことについて

芸人大島育宙さんと脚本家高野水登さんが「無限まやかし」の中で、TVドラマ「silent」について熱く語っている。その中で、高野さんが話された言葉に激しく賛同しました。【注:大島さんの発言とご指摘いただきました。訂正します】
「silent」は、過去と現在を行き来しながら話が進む。今の時代、こうしたつくりのドラマや映画はたくさんあります。とはいえ、主流はやはり、『あらすじの大元は現在にあり、回想シーンとして過去の映像が挟まれる』というもののようです。
こうした話の中で、高野さんが放った「現在、そんなにえらいのか」って言う言葉に、何度も頷いてしまった…。ああ、それよそれ!
普段上手く言語化できていないもやもやした気分を、言いきってくれました。
様々なことが、過去よりも現在がえらい、って文脈で、語られがちです。
どんなに過去に栄光があっても、それは、もう“過去”のこと。過去の価値は、人生における重要性は、時と共にどんどん目減りしていくもの。人生は“今”のここからが大事だ、とか、未来は変えられる、とか…。『現在を頑張って生きて未来を明るいものにしていくことこそ正しい道』ってされがち。
過去のことは、自分にとってプラスになるエキスだけをうまく取り入れていくもの。過去は現在を充実させていくために存在する、っていう。
人生哲学として…希望を持って楽に生きていくためには、それは必要なことで、人が培ってきた知恵でもあるのだろうけど。
でも…。
たとえば、高齢者が自宅で強盗に殺されたとか、有名な女優が晩年孤独死したとか…そうしたとき、当事者を悲劇の人と括ってしまうことに強い抵抗感がある。
野村克也元監督が、妻のサッチーが亡くなってからがっくり元気がなくなり別人のように意気消沈したままだったこととかも…。豪快に笑って仕事をこなしていた姿がどんなに立派だったとしてもそれは“過去”。某著名人が、彼に、元気に現在を生きるよう励ましている映像を観たけれど…それは、善意と思いやりによるものだけれども…なんかなんだかな、と感じてしまって…。
過去の一瞬一瞬の時間すべてが、現在のそれより重くない、ってことはないのだ。ああ、うまく言語化できない自分がもどかしい。
生きていくために、常に現在は大事だけれども、人生の中では、過去も現在も、重さは同じなのです。

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