身体的暴力のこと
精神的暴力はときに巧妙で、周りから判断しにくかったりする。対して、身体的暴力はそれよりはるかに、客観的に見て“わかる”暴力。そのことについて思うのは…昔はけっこう、精神的はもちろん、身体的暴力が野放しだったな。
殴ったり蹴ったり拘束したりの身体的暴力はしてはいけない、というのは、当時も社会に周知されてはいたけれど、私が子供のころは、愛情ある暴力は許される、って理屈が広くまかり通ていたと思う。児童虐待の暴力もかなりあったはず。しつけのために、親や先生が、子供をゴツンとやることは銃弾されていませんでした。子供同士の暴力だってコミュニケーションのうちと見過ごされがちだった気がするし。
そして恋愛における、男の暴力。愛情あってのこと、なら許されることとされていた。
ドラマも漫画も、そういう描写がけっこうあって、それは、ロマンチックラブイデオロギーとも連動していました。恋人の男が女をひっぱたくってのに、どこか憧れも感じていましたよ。ちょっと不良っぽいかっこいい男の子が、気になる女の子を心配のあまりひっぱたく。それは深い愛の証というね。…今なら、怖いよ~、と思うけれども。
沢田研二“カサブランカ・ダンディ”の出だしは、「ききわけのない女の顔をひとつふたつはりたおして…」…激しい大人の男女の恋の世界、と、当時は歌詞に抵抗なかったです。
男の女への身体的暴力の恐ろしさを意識したのは、1990年頃。
当時、人気がありタレント活動もされていた有名男性アナウンサーが、あるトーク番組で、妻のことを殴る話をした。しょっちゅうその話はしていたようで、アシスタントの若い女性が“それ、良くないですよ、評判悪いですよ”という感じでやんわり制していたが、当人は全く意に介さず。かえって火に油。自信満々に「だって、殴らなきゃわからないんだもん!」…こんな発言が堂々とお茶の間に流れることに、とても違和感を感じた。
すごい、時代だったのです、本当に。今は、こんなことをテレビで発言するなんてアウト。ましになった…というより、当時が酷すぎる。「男は女より賢くて上の存在。だから女が男の言うことに従うのは当然。それに逆らう女は殴ってよい」という、とんでもない認識が、数十年前まで、普通にありえることとして受け止められていたのだ。
今になって、あの頃とても紳士に見えた年配男性が、家では暴力夫だったことを知ったり。被害女性も、まあこんなもんと思い込み納得しなければ、心穏やかに暮らせなかったんだと思う。こういう時代がついこの間まであったこと、それをなかったことにしてはいけない、したくない。
力ある者がそうでない者に対してふるう身体的暴力、それは恐ろしすぎるものだから…。