3年ぶりの郷里…小浜線に乗って
若狭の道路網は、もうずいぶん変わっています。少なくとも40年前とはがらりと。
小浜から敦賀へ抜けるには27号線1本のみの時代のことなんて…海水浴シーズンは大渋滞(秘密の抜け道の噂を聞いたような気もするが)…のことも、高齢者だけが知る昔話になっていくのでしょう。今は、水田地帯や新しいトンネルを通る道路がいくつもできているし、きっと私が知らない道も多々ある。
高速道路もあって…これは阪神大震災のあと急ピッチで進められた印象あり…阪神大震災のときは、若狭の道を、普段見慣れない大きなトラックが行き交っていたな。
若狭津々浦々、私が記憶にある風景は、もうなくなっているものが多い。ずっとこの地で暮らしている者より、たまに訪れる私のような者の方が、そういう昔懐かしの気持ちが強くなってしまうのだろうし。
けれど鉄道網だけは、基本、変わっていないね。敦賀と京都の舞鶴を結ぶ小浜線。このまま、ずっとずーっと若狭の鉄道として走り続けてほしい。
昔々は、SLが走っていました。幼いときは煙が窓から入るし好きではなかった、ディーゼル車の方が嬉しかったですが。SLがなくなるとき…保育所だったか小学生低学年だったか…子供たちでありがとうと駅員さんに花束をあげるイベントがあったような…もしかして、何か別のイベントと混同しているのかも。だけどとにかくSLが走っていたのは確か。当時はどの駅にも駅員さんがいて、切符にぱちんとはさみを入れてくれた。同級生のお父さんが駅員さんでかっこいいなあって思ってました。
ディーゼル車オンリーになってから、その後何十年も地元で小浜線電化希望の地道な運動がありました…ポスターがよく貼ってあった。でも、現実には無理というあきらめムードもあったかと。それがある年突然、電化が決まって急ピッチで電化されて…。そのとき思った。日本は上意下達。政府がやると決めたらあっという間だな。住民の、下々がどんなに声をあげていても、ほぼほぼ関係ない…。
今、首都圏に住んでいると、電車の本数が多いことは何て便利なんだと思う。東海道新幹線も、短いときは3分で進行方向同じ列車が出発している…驚き。
小浜線は今、のぼりくだり各12本ずつ。これが、どうか維持できますように。けっこう利用している人がいて、なくなると帰省する者だって困る。
今は駅の多くが無人化しているけれど、きれいに整備されていて、大事にしていこうという地元の人の気持ちが込められている。今年は小浜線100年の年。記念入場券も販売されていました。この地にこの鉄道を造るため奔走した人たちに、感謝です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?