どんな故郷でもdisらない
昔々、職場で福井に行ったことある方から、「何にもないとこだねぇ」とさらっと言われたとき、固まった。本人に悪口の意識はなく、ごく真っ当な感想として。何にも悪びれたところなし。こう反論すればよかった…と思うより、まずは、その人自身を責めたいね。
悪気はないから、と言って、許されないことがある。一言で言って、心がない。
本当にそう思ったとしても…つまらない場所で自分には合わない…、口にはっきりとは出さないで。なぜなら生まれ育った環境は、その人をつくった大きなもので、その人自身の“確かな一部”だから。つまらない人間とdisるのと同じで、言われた方はなんとも嫌な気持ちになる。
以前、TVの番組で、北朝鮮生まれで脱北し日本で暮らしている女性を追いかけていた。その人が“北朝鮮のことを悪く言われることばかりで辛い”と話していたのが、あーそうだなと思った。政治だけでなく暮らし全般。でもどんな悲惨な状況があったとしても、すべて否定するのは、その人自身を否定すること。北朝鮮に限らない。
ひとりの人の人生に、いったい何がどう影響しているのかわからない。
ただはっきりしているのは、自分の意志ではどうしようもないことが、たくさんあるってこと。大人になり自分でチョイスできるようになっても、大きな目で見ると、やはりそれも限定的な選択だったと思い至ったりして。そしてそれがうまくいかなかったときに、心折れるか、楽天的になれるか、世を恨むか…ってことも因子によって様々。人生って、ほんといろいろ。人は徹底的に個で存在する。同じ人間というのは、ただの一人もいない。
人生はやり直しも検証もできない。いかに、どうしようもないことを…容姿や育った環境や過去の自分の判断のすべて…受け入れて、これから、少しでも自分にとって良い人生にしていくか。生きるって、死ぬまでその歩みだなと思う。そのことだけは誰もが同じ。
以前、ドラマ「Q10」(佐藤健、前田敦子主演)最終回だったかで“どんな嫌な人間であってもあなたという人間をつくった要素なのだからありがとうと言いたい”というようなセリフがありました。流石、木皿泉脚本。
ひとりの人の魅力をつくるのは、その人が経験してきたことのすべてによるもの。だから、それを…故郷、家族、学校、大学etc…、一刀両断に批判してはいけない。人の気持ちをぺしゃんこにする。…安易に何かを批判する人ほど、自分の大切なものが批判されたときの怒りは凄くて、その矛盾を何とも思ってないようだけれども…。
単に、自分がされて嫌なことは人にもしない、というシンプルなことを忘れないようにしたいです。
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