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藍色への抵抗感の理由は…

昔、友人のブラジル人デザイナーの女性が日本の藍染を学び、その布を使ってスカートをデザインしていました。
ある店舗の一角を期間限定で借り、自分でデザイン制作した衣類や帽子を販売。スカートは夏向きのふわっとした長めのギャザースカート、濃い藍染布の上に透け感のある藍染布が重なっていてお洒落でした。彼女は藍染の魅力や大変さを生き生きと語ってくれた。私は徳島に行った折に藍染の見学をしていて、藍染の歴史の奥深さを感じていたところ。藍染=民芸品のイメージが強いけど、デザイン次第でモダンになるんだな、と感心したっけ。
今では、藍染の素敵なデザインのもの、衣類でも小物でもたくさんありますよね。
でも…
私は、青色や水色は大好き。でも藍色はどうしても苦手で…気持ちが沈んでしまうのです。
江戸時代の終わりだったか明治の初めだったか…日本に来た西洋人が、日本の農村地帯の人々のことを、“水色の服を着た小さな(貧相の意味があったかと)人たち”と、表現したという文を読んだことがあります。華美なものを身に着けない…禁じられていたし互いの監視の目もあった。表情に乏しいあるいは力なく笑う、藍染服の人々を想像してしまう。
江戸時代だったら、農村に生まれるより、綺麗な着物が着られる商家のお嬢さんが絶対いい!いや、明治、大正、昭和だって…。かつて朝日新聞に「1億人の昭和史」という写真中心の本があり、親戚ん家でよく見ていましたが、都会のお嬢さんが華やかなライフスタイルなのに対して、農村で暮らす人々は生活の厳しさが服装にも表れていて…。
私がうんと幼い頃の記憶に、田植えがあります。よく晴れた春の日、うちの田んぼに多くの人が集まって、並んで一斉に人力で田植えをしていた。昭和40年頃、まだ、機械化が進んでなかったんだね。田植えや稲刈りは、互いの家が手伝ったり手伝ってもらったり。5月半ばくらいから、泥落としと称して各家が作った柏餅が行き交っていたな。
その頃でもまだ、都会と農村では経済も文化も恐ろしく差があったのです。その後、1970年代、1980年代…と徐々に差は縮まっていったけれども。
自分が農村育ちだから、都会と農村の格差に敏感なんだと思う。そして、藍色はどうしても貧しい農村生活のイメージが強すぎて。みじめで寂しい気分になってしまう…失礼な言い方だろうけど、そう思ってしまう。
海外の農村地域…特に欧米の…を見ると、家も民族衣装もカラフルなものが入り込んでいる。様々な色が生活に普通にある国と、日本とでは、それだけで、精神性に大きな違いが出てくるよなと感じてしまいます。

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