ペンの暴力と家族の暴露
…についてはネット社会以前のような、一部の人の特権ではなくなった。
ネット社会以前は、出版可能な書き手が自分の思いを書くことで、現実社会では歯が立たない相手をおとしめ留飲を下げることが多くありました。書いたもの勝ち。有名な書き手になった人の主張が正しい、とされる感じがあった。
中でも強く記憶にあるのは…ある男性有名人が、遠距離で母親の介護をした体験記。母親の近くで暮らしている実の姉に対しての非難が酷く、不愉快な気持ちにさせられた。完全に姉は悪者表現だったけれど…彼の本から察せられるだけでも、“母親は男の子の彼を溺愛。対して姉に対しては冷淡”。老母と姉の間には、他者にはわからない強い確執があったのは間違いなく。それを、著者が一方的に実姉をペンの暴力で、いわば社会的に葬ろうとする…そうせざるを得なかった著者の心…書ききることなど不可能な暗く大きな背景があるに違いないけれども。それでも…。その姉はこれからも地方で自分の家族や親戚と近い関係を持ちながら暮らしていくわけで。対して著者は都会で自由に、様々なしがらみとは無縁で暮らし続ける…。やはり卑怯。
ペンという武器で殺す。その武器を持っていない相手に、それはしてはいけないこと。嫌な後味が残った…でも、当時はこのもやもや伝える場所はありませんでした。
たぶんこの本の著者は、自分の強い怒りにまかせて卑怯なことをしたことを悔やんでいる…自分の品性も貶めたわけだから…と思うけれども。
家族と言えば…親の虐待の告発本、当時に比べすごく多くなりました。弱い立場にいる子供が親に対して、ペンの力で訴えそれにより自分の心が救われる…自分の感情をとことん書き出さなければ、人生歩んでいけなかったに違いない。書き手それぞれに切羽詰まった気迫があり…ときに読むのが辛いけれども…。
人は、他人の家をのぞき見したいいやらしい好奇心があって、センセーショナルであればあるほど売れがち(今ならビュー数ね)。親が有名人ならよけいに。
理性でもって、一般的な感情や社会の歪みにまで思考を発展させているもの…田房永子さんや東小雪さんの本は、読み手もわりと心穏やかに読むことができるけれど、その域に達しているものは、とても少ない。彼女たちも、大きな気持ちの揺れののちに、ようやく行き付いた境地で出版したのだろうし。
私は、一概に、家族に関する暴露はいけない、と決めつけることはできません。
ただ…ペンの暴力の自覚は必要。ネット社会になり、すべての人が書いて発信できるようになった現代だからこそ…義務教育で教えてもいいくらいと思います。