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秘密選挙は民主主義の最低限

私が育った家庭では、政治の話が話題になるということ、記憶の限りではほぼなかったです。が、選挙には、大人は必ず全員行っていました。
明治生まれの祖母は、毎回身支度を整えいそいそと選挙に行く。選挙期間中は、選挙カーが通るたび一生懸命手を振っていたな。政党に限らずすべての車に。多くを語らずとも、自分にも一票があるということが、とても嬉しいんだなということが伝わってきました。祖母は、女性の参政権がない時代を生きて、結婚して、子育てしてきた世代。女性の参政権がまったく考えられなかった時代を知っている人にとって、性別に関わらず、誰もが生きている限り平等な1票を持つようになったというのは、衝撃的な変化だったはず。
そういう姿をずっと日常的にみてきたからか、選挙は行くのがあたりまえだったし、行かないということに対する抵抗感も私には強くあります。
そして、家族間では、一切、どの政党の誰に入れたか、という話はしなかった。
小学校時代、友だちから、「うちのお母さんは○○に投票したんだって、教えてくれるよ」と聞いたとき、うちは知らないなあと思って、「誰に入れたん?」と母に聞いた。「言わない。そんなこと聞いてはいけない」という主旨のことを、静かに、けどきっぱりと諭されたことを覚えている。
そうか、家族にも言ってはならない絶対に秘密にしなければいけないこと、なんだ。
家族に限らず、職場や友人間でも政治の話をあまりしないのは、民主主義の最低限である「秘密選挙」を守るための知恵とも思います。日本社会では必要不可欠なこと…組織票、という言葉がある限り。
地域や職場での結束の輪から逃れ、自分の良心に従い堂々と投票するのは難しい。
今までの経験から言って、ある程度の規模の職場になれば、政党と無関係ではなかなかいられないもの。ほとんどの場合、政権与党との関係を悪くしたくない、という気持ちが大きく働いています。昔労働組合が強かった職場では、某野党へ投票しようという雰囲気が大きかったけれども。
嘘をつくというのは、かなり精神的に負担。けれど、自分は組織が応援している人に投票してないとバレるのはかなりのリスクがあります。職場や地域に居づらくなってしまう。だったらいっそう、政治的なことは一切黙っていた方がいい…。
その是非はともかく…秘密選挙は、日本での、民主主義の大きな砦になっているのです。

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