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「ひとりブックカフェ」の写真集を作っています
本のある空間、景色が好きです。
本の内容も楽しみますが、本はその周辺が非常に好ましい空気を纏っています。
控えめに佇んでいるくせにひとたび開けばめっちゃ濃い、めっちゃ喋る、沸々と情熱が滾っている。
ベタな言い回しですが「本は友達」ですな。内向的だという自覚がある僕には本当に「この世にあって良かったもの№1」に輝くくらいの物質なのです(友達に対する物言いではないですね)。
派生して、図書館、書店、ブックカフェなる場所。伴って家具調度、本棚、窓、装飾としての絵などなど、これらは同じ波長に属しているのか、本にマッチするそういうものも好きで、好きが嵩じて「ひとりブックカフェ」という空間を作っています。
で、以下のような本を「ひとりブックカフェ」でも作りたいと思い、今作っています。
![](https://assets.st-note.com/img/1727172294-8CGHJ45lRzcVsXApfMUbjnIe.png?width=1200)
こういう、本屋さんが載ってる本が好きで何冊か持っているのですが、僕も「ひとりブックカフェ」でこういう写真×エッセイみたいな本いつか作りたいなあ、って思っていました。
なんか無意識に、こういうのって出版社からお声がかかって、みたいな流れなんだろうと想像していました。
noteで有名になってとか、インスタで有名になって出版みたいなストーリーが「普通なんだろう」と思っていたから「いつか……」って思ってたけど、僕はこういう本を作りたいのであって別に出版がしたいわけじゃない(したくないわけでもないが)、と気付き、それなら自分で今作れば良いんだと思いました。
ひとりブックカフェに飾る用の本をどこかで印刷してもらえばそれで目標達成です。調べたら一冊から印刷可能なところっていくつかあるようで千円とかそのくらいのお値段で注文できちゃう。
こだわれば価格は変動するんだろうけど、とにかく高額ではない。
ありがてえ。いやほんと、世の中はどんどん「遊ぶ」ために進化していくし、ひとり一人が「神」になるために発展してるんだと思います。
各神論は今度またゆっくりしたいけど、本を作るなぞという大がかりなこと、今ややる気次第で、個人の意思でできてしまう。
売りたければやっぱりお呼びがかかるのを待たず、それをひな型にしてkindleとかで売れば良い、のかどうかよく分からないけど、今やそういうことも手軽にできる時代ですよね。
ほんと、ありがてえ。楽しい創作ライフです。
で、僕が持っている何冊かの、日本中のいろんな本屋さんが載ってる本とか、作家さんのお部屋が載ってる本とかと並べて悦に浸る。
多分それで違和感ないと思うんですよね。
まるで「ひとりブックカフェ」が本当にあるみたいに思えるはず。というか別に誰も疑いもしないと思う。景色。景色の一部になる。良くも悪くも際立たない。
![](https://assets.st-note.com/img/1727175444-RNk9BE3rCTZKWFGXlA48LfVQ.png?width=1200)
「ひとりブックカフェ」に関する投稿をnoteでし始めた最初の方で、決してここは本物のお店じゃないし、これからも営業をするってことはない、みたいなことを書きました。
でも「こういうブックカフェがあるんだー」ってナチュラルに誤解して欲しいみたいな気持ちはあるとも書いていて、80%くらいはそういう「いたずら心」でやってる感があります。
あとの20%は以下の記事に書いた気がする。
ただこれ、紛らわしい!ってのがネックなんですよね。
写真集を作る、みたいなのだって、ぱっと見で本当に出版されてるって誤解してもおかしくないものができてしまうと思う。
たまたまチラッと、何かの偶然で「ひとりブックカフェ」のページに行き着いた人をイラつかせたいわけでもないんだよな、と思うとなんかどこまで何をやって良いのかな……という気持ちもある。
もちろん、誰も気にしないよ? ということは知っている。
そういう「誰にどう見られるか」みたいな部分は明らかに自意識過剰な部分であって、お前が、貴様が、何をしようが、何をしまいが、お前意外、貴様意外、誰も気にしないよ?と言ってくれる小鬼みたいなのが、僕の中にいる。
ただ、こうしてやってることを一応ネットの海の中に放り投げるわけだし、どこの国の、どんな人でも見れるようにするわけだから、「家族のアルバムを作る」とかとはやっぱり少し、動機が違うことはごまかせない。
誰かに見て欲しい、家族以外の他人様から「よくつくったねぇ」って褒められたい、みたいな感情がマジである。
ちなみに内容は空虚です。なにせ本当はないブックカフェですからね。
でも写真と合わせてエッセイを書いています。これも雰囲気のためであり、「それらしいこと」を一番重要視しています。
ただ思ってもいないことは書けないわけで、かなり切実に芯は決めてある。
それは「十年後はいないかもしれない」ということです。
ひとりブックカフェはほんのちょっとした模様替えのつもりで、元々ちょっと写真撮っておしまい、って思っていました。
何かの偶然で今僕はこの建物をアトリエとして使うことができていますが、五年後、十年後、ここにいるのかなあ?と思うことがよくあります。
ちょっとプライベートな話で、「諸行無常」を思い知ることが多く、本当にあらゆることは「そのままでいられない」んだなあと実感するからです。
僕がいても、建物が壊れて使えなくなるかもしれない。
反対に、これだけやらないと言っていた「ブックカフェ」を本当に営業する未来もあるかもしれない。
本が増えて増えて、図書館みたいになるかもしれない。
いずれにせよ「今のままであるはずがない」ことだけは確かだと確信しており、どんな形にせよ消え去ってしまう今を残したいと思うから、お声がかかるとかそんなこと言ってないで、もっと本を増やしてからとか考えてないで今、作りたいと思っている今、やろうと思いました。
こういう色々を胸に秘めながら(書いたので秘めれてないけど)、最近は写真集作りをしています。