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短編小説(朗読):知らせ虫

それに気づいたのは最近のことだった。
小さな、本当に小さな点だった。
それがあちこちにある。
いや、いるのだ。
それはいつの間にか、いる場所を変えている。
よくよく見ると、どうやら小さな虫のようだった。
最初は嫌悪感があった。
何しろ身の回りに小さな虫ちらほらいるのだ。
しかし、人間慣れてしまうものだ。
特に害があるわけでもなく、ただそこにいるだけ。
それにこの虫は私以外の誰にも見えていないらしい。
追い払っても、気がつくと同じ場所にいる。

ある朝、いつものようにバスに乗っていた。
やけに虫が多かった。
充満する虫たちに辟易した私は、勤務先の新聞社に遅れるにも関わらず降車した。
その日はこってり上司に絞られたのだが。

翌日の新聞を見て、私の背筋は凍り付いた。
私が降車したバスが事故に遭い、乗客や乗員に死傷者が出ていたのだ。
もし、私が乗り続けていれば事故に巻き込まれていただろう。

それから、私は『虫』を観察するようになった。
指についていた虫。台所で指を切った。
子供の膝についていた虫。転んで擦り剝いていた。
網戸についていた虫。網が裂けた。
虫がついている場所は何かしらの怪我、というより損壊することにはすぐ気が付いた。

ある日、通勤中の電車から、黒い煙のような『虫』の群れが見えた。
私は寒気を覚えると共に、興奮した。
あそこで、今日は何かが起こる。
会社にスクープをとれると連絡を入れ、『虫』の群れを目指した。
そこには、雑居ビルがあった。三階に『虫』達がびっしりと張り付いていた。
いつだ。いつ起こる。必ずあそこで何かが起きるはずだ。
じりじりと時間が過ぎていく。
ふと、私は何を期待しているのだろうと思った、その瞬間。
今や虫に埋もれていた三階が、文字通り爆発した。
ガラス片をまき散らし、炎を上げるその階にはまだ『虫』が飛び交っている。ぞわぞわと、上へと昇っていく。燃えることもなく。

私は必死でカメラを回していた。どこからか悲鳴が上がる。レンズには上の階で助けを求める人が映っている。吹き出る汗を拭おうとカメラから目を離すと、みるみるうちに『虫』に覆われていくビルが見えた。

社内でうだつの上がらなかった私の評価はまちまちだった。スクープ記事は評価されたが、まぐれだろうという声が多かった。

まぐれなんかじゃない。私は『虫』を見ることができる。
『虫』を追いかけていればより大きな事件をスクープできる。
そう、私は確信した。

社内での評価は鰻登りだった。
私は有頂天になっていた。
認められる、というのはこんなに気持ちいいものなのか。
事件が起こる場所には『虫』が集まっている。遠くからでも『虫』が群がっているのが良く見える。ただ町を眺めていれば、大事件の起きる場所がわかるのだ。
気づけば朝の散歩をする健康的な習慣もできた。深夜に走り回り、目の下に隈を作っていたころが懐かしい。
部長の腹に軽く『虫』がたかっているのは肝臓を悪くしているからかもしれない。ちょっといい気味だった。

そんなある日。
日課となった散歩中に、ふと、目の前の女性が何かを落としたのに気づいた。
声をけると、女性が振り返った。
女性の顔はびっしりと『虫』に覆われていた。

ひっ……。

私は思わず引き攣った声をあげた。
波打つその『虫』に埋もれた顔が「ありがとうございます」と澄んだ声で私に話しかけてきた。
私は何が起きたのかわからなかった。
私はこのままこの女性を追いかけるべきなのか。
止めるべきなのか。
いや、止めるとどうなる?
止めたことで『虫』がこの女性についたのか?
混乱しながらも当たり障りのない挨拶をする私を他所に、女性は立ち去って行った。

翌日、女性の変死体が発見された。
顔に酷い傷。傷なんてものじゃない。
あの『虫』の量は異常だった。
おそらくは顔の原型すら残っていないだろう。

私はどうすればよかった。

眠れない夜を過ごした私は、いつもの通り顔を洗った直後。
鏡を見て悲鳴を上げた。
顔には『虫』がわらわらと張り付いていた。
あの女性に声をかけたところを犯人に見られていたのか?
知り合いだと思われたのか?
次の標的は私だというのか。
冗談じゃない。

とにかく普段通りの行動をとっていてはいけない。

会社に休む旨を伝えて、引きこもっていた。
鏡を見るたび、徐々に虫が減っていくのがわかった。
なんだ、変えられるじゃないか。

そう安心した瞬間、罪悪感が湧いてきた。
あの女性は死ななくても済んだのかもしれない。

翌日に鏡を見ると、私の顔から『虫』が消えていた。
ああ、これで私には何事もない。
気分が良くなり、空気を入れ替えようとカーテンを開ける。

町中が『虫』に覆われていた。

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