督姫(徳川家康女)
先祖の一人の督姫(徳川家康女)の御霊に訊いた。
「徳川家康の嫡女の督姫さまはなぜ死んだのでしたかね 饅頭ですか」
「饅頭」
「毒饅頭を食べたのですか」
「食べ」
「あぁ、お気の毒でしたね」
「お気の毒」
「督姫さまは曲がりくねりながらも御先祖様のお一人ですので嬉しく思っております 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ありがとうございます」
「はい ご厚情」
「これですか(この肖像画ですか)」
「こ(これ)」
小笠原貞宗→小笠原政長→小笠原長興→三好義長→三好長之→之長、勝時、一秀。
三好勝時(三好長之の次男)→新五郎、勝長、政長→政勝(慶長20年5月7日(1615年6月3日)歿。政生、政勝。釣竿斎宗渭。右衛門大輔、下野守、下野入道。弟に為三、妹に、やり[池田信正正室、池田筑後守弥太郎長正母])→男子(嫡男。夭折)、男子(次男。夭折)、生勝(実は多羅尾綱知の子)、加藤善左衛門義広(三男。鵜殿家家臣)→西郡局(母は正室の、やり。当主の最初の妹。別名時姫。鵜殿長忠養女、徳川家康側室)。
池田輝政→茶々姫(嫡女。母は継室の督姫〔徳川家康こと世良田二郎三郎の嫡女〕。1596年~1659年。のちに千姫。名は、やり。徳川秀忠養女、京極高広正室)。
京極勝秀→京極高清(京極政経養子)→京極高吉(母は正室の斎藤やり〔斎藤妙純の第三子・嫡女。当主の最初の妹。母は正室の利貞尼〈野間入道(野間康久)の第三子・嫡女。当主の最初の妹。母は正室の、やり。甘露寺親長養女。名は、やり〉〕)→京極高知(母は京極マリア〔浅井久政の次女。浅井長政の姉。名は、やり。天文11年(1542年)頃生。元和4年7月1日(1618年8月20日)歿。〕)→京極高広(母は最初の側室の惣持院)→養仙院やり(嫡女。母は正室の茶々姫〔池田輝政の嫡女〕)、京極高国(母同嫡女)。
野間長久→やり(嫡女。母は正室の松永やり〔松永久秀の最初の妹〕。池田教正正室)、康久(母同嫡女)、鵜鷹(母同嫡女)、松永左馬進(母同嫡女)。
野間康久(戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初長前。左橘兵衛尉(左吉)。野間入道。若江三人衆の一人。主君は三好義継、織田信長)→勘介(母は正室の、やり)、男子(母は上におなじ)、利貞尼(嫡女。母は上におなじ。名は、やり。京極高清正室。甘露寺親長養女)。
池田輝政→茶々姫(嫡女。母は継室の督姫〔1565-1615。ふう、富子、播磨御前、良正院、徳川家康の嫡女〈公式では次女〉〕。のちに千姫。1596年~1659年。徳川秀忠養女、京極高広正室)。
徳川家康(幼名国松・酒井浄慶・世良田二郎三郎・徳川家康)→督姫(嫡女。公式では次女。母は最初の側室の西郡局〔鵜殿家家臣加藤善左衛門義広の嫡女〕。天正3年11月11日(1575年12月13日)生。慶長20年2月4日(1615年3月3日)歿。ふう、富子、播磨御前、良正院)。