【ウエアハウス】雑感まとめ
ふせったーに投稿した感想の移植です。
公演名:『ウエアハウス-double-』
公演期間:20200125-0202
公演会場: 新国立劇場小劇場
投稿日:20200126①
思っていたより遥かに悪夢のような時間だった 相互さんにお酒飲みながら気持ち悪かった気持ち悪かった連呼したけど「グロテスク」が感覚に近い語彙だったかもしれない
あと最低なこと言うと、わたしが役者だったら、もしくは彼ら役者と同等の没入力でヒガシヤマを演じていたら、あの場で失禁してたと思う それくらい怖かった
コミュニケーションが怖くなる演劇だったな コミュ障が加速してしまう…
やっぱり文学と演劇はネクラの所業だと思います(雑なまとめ)
投稿日:20200126②
カーテンコールでニッコリ笑ってお辞儀されることすらグロテスクに感じてしまった
舞台上で繰り広げられることのリアリティがありすぎて完全にあの空間で現実と虚構が入り混じってたから、あのあと同じ容姿の人間が笑顔を貼り付けていることに耐えられなかった
理解できないことは恐ろしい、人の心がわからない、心と心が繋がらないことが耐えがたい恐怖
投稿日:20200126③
照明の当て方が本当に天才でクライマックスのルイケが刺さりに行って立ち去った後のヒガシヤマの背中、シワシワのシャツの皺の細かいひだが彼の震えに合わせて光の当たり方をチラチラと変えるのがとても綺麗で悲しかった
投稿日:20200128①
素朴な感想だけど、帰ろうとしたヒガシヤマをルイケが後ろから無理やり押さえ込むあの恐怖シーンを初めて見たとき、「殺されちゃう!」「殺されちゃう!」「殺されちゃう!」って本気で思ってた。目の前のことはお芝居なのに。
お芝居なのに、心のアラートは本気で鳴ってた。あの瞬間わたしは完全に現実と虚構がわからなくなってた。観客をそんな状態にする演劇ってすごいな。
2回目以降はそこまで没入できてないから、できることなら記憶を消して、もう一度まっさらな心で観劇したいなあ。
投稿日:20200128②
ただの悪口みたいになるけどヒガシヤマに十歳の娘がいることが許せない(キモすぎて) むしろルイケに娘いてほしかった
ルイケに娘がいたらルイケはああならなかったと思うし、ヒガシヤマに子供がいない場合の家庭崩壊は容易に想像できる
誰がどう見ても完璧主義っぽさがあるのに「こう見えて完璧主義なところがありまして」みたいな言い方をするやつにロクなやつはいない(偏見)
「管理社会を悪と決めつけるのは認識不足だと思いますよ〜?」「それはレトリックだなあ〜〜」「いや僕は、徹底したマンネリズムを愛します!」「え、ルイケさん、ネット全然?w」この辺りの言い方、いかにも"""インテリ"""だったね
たぶんヒガシヤマは会社の飲み会で酔っ払ったとき普段あんまり関わりのない他部署の無害そうな女の子を捕まえて自分の高尚な持論を偉そうに浴びせることでつまらない自尊心を回復するタイプ(偏見2)
自部署の女の子には絡みにいかない小賢しさがあるのがまたいけ好かない(偏見3)
ルイケにホワイトノイズを聴かせてる時の顔が最高にキモい(悪口)
投稿日:20200131①
今更気づいたこと→開演直前に音楽と一緒に流れてるのはギンズバーグ本人による「吠える」の朗読だった。YouTubeで聞けるやつ。音楽にも何か意味があるんだろうけど音楽に全く明るくないからわからない…
これに開演前に気づいた時から既にエモとつらと愛が爆発しそうだった。。。
あと、劇中でルイケが野良犬を黙らせに行くの…「吠える」の声を奪ってるだね なんか今更…ここの符号に気づくっていう…だから別に何ということもないけど
今日のヒガシヤマは圧倒的に営業だった。次点で法務。先週末見たヒガシヤマは経理か総務だったのに…
もしくはかつて営業だったけど今は経理総務みたいな純粋なる管理部門に異動になってる。理由は顧客と揉めたから。もしくは上司に飛ばされた。あるいは後輩を潰した。
仕事できそうな感じがした。でも仕事できる人に特有のプライベートで仲良くなりたくない感もあった。
最後のヒガシヤマの“it’s very hot day isn’t it?“のシルエットが今日はすごくはっきり見えた。愛を求めて叫んでた。
役者さんが心配になるような舞台なんだよな。この登場人物に心を持っていかれちゃったらどうなるんだろう?って。平野さんも小林さんもどうか健康でいてください。
投稿日:20200131②
最後の最後のヒガシヤマを見て壊れちゃった…と素で思うくらい怖かった 目が虚空を見つめてたし足取りがおかしかった だけど最後の一文を言う時だけ正気らしく見えたのがなんて残酷なんだろうって…
「一体なんで(長い沈黙)愛なんて言葉を発明したんだろう」この問いを絶対答えの返ってこない虚空に発する時だけ正気なのってとても残酷