辞め方、終わらせ方に人間性が出る話
16年間会社経営していると出会も別れもいろいろありましたがとても重要なのが辞め方、終わらせ方だったりします。
以前にTwitterで過去の解散や保有株式売却の件についても記載したことあるのですが、上場企業子会社の事業譲渡の受け皿として100%子会社設立(現在は全株式売却) 日本最大級のアスリートクラウドファンディング社団法人設立(現在は解散) 資本業務提携※持分法適用会社(現在は上場企業の子会社ですがその前に株式売却) その他にも参画してもらった過去のスタッフや提携会社、クライアント企業等々 長く続けていけばどこかで区切りがあるのは必然です。
そこで今回のテーマである辞め方、終わらせ方の話です。
先ずは大前提として意見の違いや方向性が変わる事は当たり前です。(○○さんは変わってしまったとよく聞きますがその方が本来自然なことです。説明は後程記載)
同じ会社の中でも考えを統一するのが困難なのに他社との連携は普通に考えてハードル高いわけですし、社内でも朝令暮改はある前提で考えることを共通認識にしています。
理由は変わっていくことの方が自然だからです。
10年前と常識も考え方も物価も社会情勢も違うのと一緒で日々変化があることが普通で変わらないことの方が本来不自然なことです。
とくに状況が日々かわる現代社会においては同じ会社でも成長のフェーズ/ステージによって求められることは変わりますし、協業先とも同じスピードで成長と求められる(必要とされる)ことに対応していかなければいけません。
そして内部の努力ではどうにもならない社会の変化だって皆さん痛い程経験していると思います。
そのような徐々に、または唐突に変わっていく変化に溝が大きくなった時に辞めること終わらせることが必要になります (これも自然の摂理です)
終わらせ方に良い悪いはないのかもしれませんが一つ実際の話しとして、弊社の社外取締役は過去に売上十数億円の会社を経営しており清算していたりしますが従業員は全員再就職先を決めて、黒字の事業部は譲渡し自己破産はせずに債権を完済して、現在は年収1000万円超えています。
一部の銀行には債権放棄してもらったり、まわりに迷惑かけたことは事実だと思いますが出来る努力をした誠意のある終わらせ方だと思います。
逆に被害を大きくしてしまう、爆弾を投下するような終わらせ方もあったりしますが、その選択をする人の特徴に共通点もあったりします 。
それは、苦しいから正義を振りかざす何かしからの不具合が起きているから辞めること終わらせることを選択するのですが その時に自己主張(自身の都合)のみで開き直る人もいれば音信不通になる人も残念ながら一定数います。
端的に言えば余裕がなくなり冷静な判断が出来ない状況だと思うのですが、こうなると自身の考えを正当化し正義の主張が強まり攻撃的になったりします。
これも社内共通認識でよく話していることですが
事実はひとつだけれど捉え方(見てる位置)は全員違う
見る方向が違えば正義と悪は入れ替わるわけです(正義とか悪の概念自体意味ないというかどちらも正しいと思っているだけ)
戦争で考えてもらったらこの話しのイメージが出来るかと思います(一般論で良い悪いとかの判断は出来ないこともある※身内に被害があったとして報復をすることは悪なのか正義なのかといった感じです)
話が少しズレましたが
戦って勝つことより戦わずに終わらせること考える
根本的な原因があって終わらせる辞めるという判断になっている以上、結論を言えば最終的な結果は変わらないです (話し合いで解決出来るような状態であれば揉めることにはならないので)
だからこそ正義を振りかざし戦って人間関係壊しにいくほど愚かな行為はないですし、逃げるように音信不通を選択し自分だけリセットした気になることも、自分自身はもちろん全員が不利益になるだけなのですがそれを選択してしまう人がいる。
そんな時に思うことは終わらせ方は人間性(生き様)が出る。
どうせ終わるからなんでもよいと考えるのか自分自身が関わらなくなっても残された人達の未来を考えるのか。
人のことを考える余裕あったらそもそも人間関係壊しにいかないと思うかもしれませんが、どんな深刻な状況であったとしても後のことはどうでもいいという選択は私はしません。
何故なら大切な家族がいて信頼して取引きをしてくれる方々がいるからです。
名も知られていない弊社に大企業が1取引で数千万円(全体プロジェクトで数億)の取引をするということはそれだけ関わる方が多くなり、その責任を共有することだと理解しています。
どんなに一生懸命努力しても結果的に迷惑を掛けてしまうことは大企業でも倒産する世の中ですから可能性は誰しもありますが、 迷惑を掛けたあとにどう出来るかが大事だなと。いろいろ想うことあって少しネガティブな話ですが考え方を書きました。
限られた人生の中で一緒に仕事する人は残された人の未来を考える人であってほしいとの願いを込めて。