「煙たい夜に」※改題
初めて煙草を吸ったのはハタチの終盤、成人式前に帰郷した際の飲み会で。キャンペーンガールがくれたサンプルの銘柄なんて勿論憶えていない。経験値として消化され、肺は恐らく綺麗なままだ。
オフィスビルには複数の会社が入っていて、時々交流会と称した飲み会が催される。先月知り合った彼とは音楽の話で盛り上がり、今度はゆっくり、と個別に誘われたのだ。
「え、じゃあ1回しか吸ったことないんだ」
「はい、しかも一口だけ。その後、派遣の仕事で自分でも配ったんですよ。制服のスカートが結構短くて嫌だったなぁ(笑)。よくわからないのにiPadで説明して、サンプル選ばせて。商品自体も良かったし、自分の喋りで人が貰ってくれるのが楽しくて……あの時期は居酒屋に詳しくなっちゃいましたね。お酒も呑まないのに」
「その時から営業向きなんだ(笑)。てか、お酒も呑まないなんて意外すぎるわ」
「……よく言われます。煙草吸いそうとかお酒呑みそうとか。……そんな、強そうですかね?(笑)」
明るく努めたつもりで、変わってしまった声のトーンに自分でも気が付いた。
ふうっと息を吐くと彼は目線だけを一瞬こちらにやり、すぐ前に戻すと瞼を閉じた。
「……イメージだけがさ、」
「え?」
「いや、イメージだけが先行しちゃうタイプでしょ。怖そうとか冷たそうとか。喋ったら違うって解るのにね」
「……解ります?」
「だって俺も最初は怖い子かなって思ったよ! こんな風に喋れる人だったの、嬉しいよ」
酔いのまわった笑顔には似合わない、煙草を咥える艶めかしい唇。いけないものを見ているような背徳感に止まらない動悸。煙を纏う様子が美しく、目眩のついでに咽せてしまう。
「あ、ごめん、吸いすぎだよね。消すわ」
慌てて灰皿に吸殻を押し付ける、その左手を掴む。
「だ、大丈夫です」
「え、でも」
「良いんです。あの……吸ってる所を見るのが好きなんです」
「……やっぱ変わってるね!」
「知ってます……」
彼はくしゃっと笑ってみせると、
「じゃ、お言葉に甘えて」
新しい1本を箱から取り出す。
「ライター使ったことある?」
「うーん、あんまり」
「火、点けてみる?」
彼の貸してくれたライターをカチカチと何度か鳴らしてみれば、急に勢いよく燃え盛る炎。
「わっ! 点いた」
「ふふ。ここに点けて。そうそう……有難う」
銀の枷が光る薬指に見惚れる。一昔前の歌謡曲ならここで「ハートに火が点いた」とでも歌うのだろうか。陳腐な表現に自分でも笑えてしまう。
「なんで笑ってるの?」
「えっと……火が、急に点いてびっくりしたの」
「そうだよね、普段使わないもんね。でも、点けるのなんか簡単だよ?」
私の心はきっと彼に読まれてしまっている。
「ちょっとだけ呑まない?」
彼がグラスを傾けてみせる。私は静かに舌を出して、ひと舐めだけして唇を離す。消火したいのに燃料を投下されてどうするのだろうか。返したグラスを彼は満足そうに見つめ、一息に飲み干した。そしてもう1本、煙草を取り出す。
何も言われずともライターを手に取り、身構える。
「この美味しさ、教えてあげたいよ」
吐き出される濁った溜息、燻された先の中毒性。
耳にも目にも入らない振りで、薄まった烏龍茶を口に含んだ。
ふと見た窓の外の鉄塔は、上部が霞んで見えない。雨が降ってきたと知った。終電はとうに無くなっている。
神様、飲み込めない気持ちなんて煙らせて、誰にも見えなくして。この夜が明ける前に。夢を見てしまわないように。