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昭和20年3月5日招集”22年11月22日頃招集軍隊生活2年8ヶ月位その④

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穴掘り(寒い為土が凍っているので木屑を集めて火を燃やし鉄棒で突き 又凍っているので
火を入れ溶かしては掘り進める)

作業する時 防寒外被、手袋(大)しているので体の自由が出来ず
作業中々捗らず 1日の作業は此れだけと決まれば
何時になっても仕上げなければ兵舎に帰れず いやだなー

○保育隊
体の弱き者、病気上がり、主に栄養失調の為
蒙古より特別に食料を増量してもらい、作業もせず、適時の運動、日光浴
室内を暖かくし体を静養する為に出来た中隊 而 収容所は全部軍隊式




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三◦一五
身体検査保育隊に入隊(約三週間予定)保育隊生活
朝六時起床 室内清掃、食事軽く運動
晝飯、日光浴、運動、夜食
朝食米と小豆がゆ、又アワかゆ、晝飯パン、スープ
パン油揚、ダンゴ、夜米飯、飯盒に四分の一が一人分
おかず、ロールキャベツ2回、肉(臓物)と野菜煮付

戦友前川が時々来て今の作業、レンガ工場レンガ作りの話
石炭を運び、材木運搬等の事を聞き、保育隊に長くいたいな
手紙を出して来れるとの事で國へ便りを書く
出してくれず 我々がどう思っているかを見るために書かれたのだ

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⚪︎シラミ
退院後これに攻められ弱る 六中隊に居た時検査が有り
シラミのいない中隊に増食が出た時があった
増食をもらう時は一方に減食がある
減食になっては大変だ
夜明けでシラミ取り 保育隊に来ても
日課の様に検査 毎日何びき致か調べ
熱気消毒に出す 中々居なくならない

御国自慢 喰る話 歸ったら何を喰るか 色々面白い
一番に酒を飲むという人は五十人に一人位 自分は味噌汁だ
喰べた話 山形秋田のきりたんぽ 鳥野菜の汁米7、餅米3
飯を竹輪のように焼き切って入れる 岩手の納豆餅
つきたての餅を醤油納豆に入れる
北海道イカ飯 イカの袋の中に飯を入れてふかす



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京都のニシンうどん 干しにしんを甘く柔らかく煮 うどんの上に
山口のカキせんべい 大阪のどて焼き、チョボ焼き
鹿児島の春駒かるかん餅 岡崎の五平餅
岡山 鯛の浜焼き 福岡 成金饅頭、鶴のたまご
佐賀 カニの塩辛 長崎のしっぽく料理等
朝鮮漬け 白菜を漬ける時、肉魚果物唐辛子、塩等を入れ押しにかける

毎日寝る前の一時 話が尽きた

四◦一
だいぶ暖かくなったが 朝晩は寒い 内地の冬くらいかな
保育隊解散の話があった

四•一〇
退隊 佐藤隊に編入される



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作業 穴掘り、土運搬、入浴場が出来るそうだ(蒙古)
入浴と言えば三回位かな 樽(半)に一杯二人分の湯で体を流すだけ
浴場が寒くて風邪を引くよ

四◦一五
発熱 四〇度 食欲なし 入室第三

四•一七
以前として熱下がらず

四•二〇
此の日当たり軍曹が言うにはうわ言を言う
「さあ内地へ歸れのだ皆支度をしろ 日本へ歸れるぞ」軍医も一時は
ダメかと思ったよと話してくれた

四•二五
熱下がる 気分も良し 何も食べたくなし
パンが七日分溜まっている スープだけ吸い(大豆の煮汁)
十一日以来朝晩大豆が飯だ 朝は煮ただけ
塩味なし 夜は肉野菜の吸い込み

極寒の作業を強いられる抑留生活の中が書かれている。

土場作業も土が凍っている。
火を焚き溶かして掘る、また薪を入れて溶かして掘る

零下30度以上の寒さを耐え作業している
現代のような防寒具のない

慢性的な栄養失調にシラミの悩み
話すことは郷里の味、内地の飯を食べたいという気持ちが毎夜行われていたが、それも飽きるくらい、無機質な抑留の過酷さを物語る

容態は良くなっても過酷な労働ど寒さで何度も高熱を出す繰り返しの生活

内地を出発してから三回目の入浴と書かれている
匂いというのも人間的な生活生きる環境において本当に大切なことだが、そんな権利はこの地では与えられなかった

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!