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○△□
東方大乗仏教と新大陸アメリカとの最初の接触
開国後の明治期の近代化の激動
世界の波に揉まれる日本は
華厳の思想に立ち返り
密教、禅、浄土の日本に伝わった全ての仏教宗派が集結し、大乗仏教大意を完成させ、日本語訳と英訳にまとめられる
曼荼羅の熊楠
霊性の大拙
二人の師であり、友人であり、共通する大乗仏教大意をまとめ上げた同志達は、コロンブスの新大陸発見400年を記念し開催されたシカゴ万国博覧会に併設された「万国宗教博覧会」に日本を代表して参加した
公的な支援は一切になく私的な支援でまかない乗り込んだ
極東の列島に根付き、独自の変容を起こした大乗仏教の可能性を英語を用いて世界に発信した
ブッダが説いた教えから逸脱した教義に世界からの批難に正面から答える必要があった
そしてもう一つは、開国後に米英と結んだ和親条約、つまり不平等条約における半植民地状態に対する日本の精神的な独立宣言を世界に向けて伝える事だった
日本の使節団に共鳴したあまりにも強力で影響力を持つ一人、
ラーマクリシュナの弟子でインドから参加したヒンドゥー教のヴェンダー哲学、不二一元論を完成させたヴィヴェーカーナンダが、「ヒンドゥー哲学を真に完成させるものこそが仏教哲学」と演説で助ける
そして当時英国の植民地であったインド、スリランカ代表で参加したアナガーリカダルマバーラもこれに共鳴した
席上は騒然となり
演説の一部は公認報告書から削除され
第二回の万国宗教博覧会は開催されなかった
しかし、これに感銘を受けた一人のアメリカ人、ポールケーラスが後に大拙をアシスタントとして雇い寄り添う事になる
そして大拙はアメリカに渡り禅の教えを説き、その後ZENとして西欧に広がっていく
また万博と繋がった
大拙は臨済宗禅僧、仙厓義梵(せんがいぎぼん、1750-1837)が
「禅の極意」を表すために描いた○△□の三つの図を見て、
宇宙、ユニヴァースと名付けた
これが宇宙の英訳を名付けた瞬間だった
仙厓の描いた宇宙の◯は無限をあらわす
空は無ではなく、無限
それを表す◯
無限はそれ自体は形態がない
形態の始まりとなる△
点と点、結ぶ線から三角が生まれ組み合わさり
現実の具体的な物が生まれてくる四角がうまれる
丸の法心
三角の報心
四角の応心
宗教思想の到達点
芸術思想の到達点の重なり
大拙の抽象とは心として広がる霊性の世界を神秘の世界を映し取った禅の極意を写し取ったものだった
大拙は霊性をspiritualityと英訳した
大拙の師で同郷の釈宗演は
霊性を心(mindと英訳し)として表した
生命とは霊性であり
霊性とは生命である
近代の宗教哲学が始まっていく
しばらく金沢に帰っていない
毎回帰る時は大拙館でゆっくり過ごしている
行く毎に自分の中の東洋哲学が更新されて大拙館で拾う言葉の一つ一つに気付いていく
大拙の後年、講義に参加し、直接教えを受けたジョンケージの作品に熊楠の粘菌から見出した曼荼羅の様な作品があった
大拙と熊楠の繋がりに触れて音楽というフォーマットで展開したケージに見る仏教観を今更ながら思い出す
確か、ワタリウムでの展示だったと思う
また著者が編集者時代に携わったアンドレブルトンの再読、ガタリとドゥルーズも奇遇にも年末のこのタイミングで読了したのも知らないゆえに目に見えない繋がりを感じたからなんだろう
互いに熊楠に魅せられ、田辺から中辺路を歩いたという事も含めて
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