昭和20年3月5日招集”22年11月22日頃招集軍隊生活2年8ヶ月位その⑨
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一〇◦二五
朝十時頃乗車出発
車上より来た時行軍せし時を思ひつつ
联口境線にて下車 人員点呼 国境を越え行軍約四キロ
ナルシカ駅の手前二キロ地に野営 薪を集め 飯盒炊さん
水は給水車にて二回くらい 今晩も寒いな 火を焚き話り
一〇◦二六
明す 飯盒をかけ湯を沸かす 手足を洗ふ
朝九時頃 人員点呼 一人一人の蒙古人が呼び出す
整列出発 ナルシカ駅着 貨車の清掃 午後五時頃乗車す
貨車の中を二階と下に中央にストーブを入れ薪を集め詰め込む
十一時頃出発す
一〇◦二七
汽車中の生活 一番後車炊事班 一日二階飯上 停車中
十一◦四
連絡悪きため乗り遅れる者あり 途中熱気消毒あり
入浴一回
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ハバロスク通過 大きな町 ソ聯より引揚列車と停車場にてあう
ソ聯領の同志の話を聞く 我々の作業が一番ひどい用だ
亦、食事の量も一番ひどい
十一◦五
午後四時頃 汽車が停車す
日本人が大勢作業をしている
左方を見ると海が見える いよいよ目的のナホトカに着いたのだ
下車 貨車の清掃、海岸に整列 人員点呼
七八四中隊五小隊、三年振りの海 爺と見つめていると涙が出てくる
故国日本につながって居る海だ 沖の船が走って居る 復員船だ
今に我々も乗って歸れるのだ 生きて今居た事が不思議の様だ
只々涙が出るばかりだ、収容所へ
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十一◦六
自分等が入った収容所は第一分所と言ふ
使役だ 露助の兵舎の清掃 雨が降ってきた
鉄線の外側に税関検査所があり 復員者が大勢検査をされて居る
二時頃やっと歸る 晝飯、移動 第二分所へ
十一◦七
革命記念日 分所内は赤旗を立て 赤旗の歌を立らかん歌い歩く
共産主義はきらいだ 今迄共産主義の蒙古人に定量だ定量だとこき使われて
なにが共産主義等良いものか 日本人に共産主義に共鳴し指導者になって居るやつ等は
自分等が我々の食糧より与分にかつウマイ物を食べしが為にやって居るのだ
亦、ブラブラして作業に出ず楽にせんために口先だけの者が多い
革命の話、天皇陛下をもったいなくも天ちゃん天ちゃんと言って、陛下をこき下ろした馬鹿者め
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元春部隊中隊長中栄中尉に会ふ
安、無事かとなつかしそうに声をかけられ驚く 一年半振り
自分と同様入院生活の話を聞く 中隊の英霊十二柱を持って歸隊の由
夜、歌劇を見る
十一◦八
第二分所に移動
十一◦九
税関検査 第三分所へ 検査が長くて寒い中を
三時間位立ち通し 分所内はローソクなれば夜分便所に行くのが一番困る
分所内の便所は約百米位 離れて居るのだ参る
塩魚が夜食に分祀される それを焼かずに生のまま喰る(塩カレイ)
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十一◦一一
第一分所ー第三分所 兵舎内にて共産主義の話が毎晩ある
今晩も天皇制の話 共産主義には共鳴しないよ
十一•一二
晝頃 乗船命令 分所内に整列
四時頃やっと出発 町中を通り乗船所へ 寒い
沖の方に輸送船三隻が見える 五時半頃 それより船へ連路
十一時頃船が岸壁に着き乗船 内地の話を聞く
風強く船揺れる 夕飯 出船
船名信洋丸 約六千トン 食料千名分なれば二食
乗船者千五百名 ソ聯に正意なし同胞五十万
この有様ではいつ歸れるか 六千トンの船でも三千トンの海船でも千人位しか復員させぬ相だ
今日はよく乗船させた
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復員船内食料なしで船長が気の毒がる
なに働かないのだ二食で十分だ蒙古中を思へばなんでもない
十一◦一五
函館港、沖合ごぜん八時頃着 内地山町なつかしいな
防瘡?身辺調査、新聞煙草基地内地の香り
十一◦一九
下船 北海道の土をふむ
税関検査 被服、酒係品、煙草、金等被給される 鶴ヶ丘寮へ
十一◦二〇
入浴、銭湯四年振り 入浴金四円には驚く
十一•二二
寮、出発 町内町を歩く
昭和20年3月5日招集”22年11月22日頃招集軍隊生活2年8ヶ月位
魚力の先代の軍隊生活の旅の手記はこれで終わり
ナホトカに着いた
同胞達のまだ残る姿も通り過ぎて来た
途中乗り遅れた者もいた
戦後のソ連を見た、沖の船に涙に出た
そして乗船、船親方の気遣いは、祖国に帰って来た兵隊の姿を見てどんな気持ちだったのだろう
そして函館の地を踏んだ
そこから渋谷までどうやって帰って来たのだろうか
そこにも綴られていない想いがある
魚力の今のおじちゃんは、父親が家に帰って来た時誰かわからかったという
本当にお父さん?風貌も違う、無口だった
帰国後は店に戻り、午前支度をして、午後はどこかへ出掛けて行ったという
それからの日本での生活をどんな想いでどう過ごしたのだろうか
過去だから今を前向きに生きる為に忘れられるのだろうか
明日は終戦の日です
魚力でご飯を食べていたらこの話になり貴重な、この資料を預からせて貰う事になりました
一人の人が戦争をどう見て来たのだろうか、手記の生々しさは体験した事がこれまでありませんでした
note残した想いは、いくつかあって、
・自分がまたいつかこれを読み直したい時の為
・魚力のご家族が、もしこの資料をなくしてしまった時の為
・モンゴルでの抑留や調査を今も行い、亡き家族を探している人に
そして、明日は終戦の日、
その時に何かのタイミングでここに辿り着いて見た人が何かを想ったなら、と
それまでにこれを仕上げようと読んでテキストに起こしました
先の戦争がどうたったか、を同じ目線の一人の生の声で誰かに届けばと思います