とても温かい器の話。 土に触れる。時に触れる。
今日はとても温かい器の話を。
中目の名店土山人へ。
神戸の芦屋、大阪の北浜にはあるけど、
ずっと来たかったお店ではあるけど、
東京は実は初見。
土山人というお店は、土山人というアーティストが作り出した空間で初見の僕にとっても思い出深い場所。
このお店全てが土山人の世界。
勿論器は常滑。彼は常滑出身。土山人の作品達。
触れるもの全てを自らの手で作り上げる人。
履く靴着るもの触れる家具空間、
口に入れるもの目に入れるもの
耳に残るもの、音、言葉、全てを自らの手をかけて作り出す人。
そんな人の作った世界で過ごしていた
僕も昔住んでいた知多半島へタイムスリップして来ました。
土山人に会ったのは20年前。
愛知県の半田と常滑でまだ18歳の若造の僕が働いていたのは、土山人が作ったお店達。
アルバイトとしてそこで沢山の時間を過ごして毎晩酒を飲みながら色んな先輩やボス達が集い、夢を語り、酒も食事の飲食の嗜みも楽しさも全て学んだのはその時間。
そんな青春を濃い時間があったからこそ、
こうやって器を好きになり音楽を好きになり人と話をするのが好きになったと思います。
そこまで多くの話を当時はする機会はなかったけれども 「左利きのお客さんには左向きに箸を置いてみる事を心がけなさい。」と左利きの土山人は教えてくれたことは印象的。
土山人の作った世界で暮らしていた事、そんな社長に憧れていた先輩達が一人一人個性的で格好良く、影響を大きく受けたのは今でも残っています。
一枚ずつ違い同じものがない器の数々に
一品一品をどの器で盛り付けようか考える時間が仕事の中である美しさは素敵だなあ。
日本中、世界中の数寄を自ら作った正に20世紀の魯山人。
棟方志功よりもバスキアよりも利休や丿貫よりも前にこういったアートに身近に触れられたのは、自分にとってとても大きかった。
家には社長の形見が一枚あります。
当時の仲間から一枚だけ社長の作品を譲ってもらったもの。
中目に常滑がある、定期的に土山人に会いに来ます。
器に刻まれたPOSITIVITY TOKYOが今響く。
言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!