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22 主体的な学びはどうして広がらないのか?②

以前、元同僚の職場に講師として行かせてもらった際の質問についての考えを書きました。


それ以来、ずっとこの問いはわたしの胸にとどまっています。
今日異校種が混ざる研修があり、考え方のギャップを目の当たりにして、またこの問いが顔を出しました。

学校が違うとこうも違うものかと感じてしまいました。とにかく、フットワークが重い。たいしたことないことを重く受け止めすぎる。変わるということへのアレルギーが強い。

そして、その原因は何なのか…私なりの分析(予想)をしてみました↓

・考えることをやめている(考えているつもりではある)
・子どもを後回しにする(そんなつもりは毛頭ない)
・変える前にリスクばかりを考える(変える=仕事が増えると考える)

主体的かどうかの前に、変化しまくりの社会の中にあって、学校の時計が動かないのはこういうマインドにあると思います。
大人が主体的でも、意欲的でもない。すごく保守的で、リスク回避を優先している体質では、子どもを主体的にするなんてとんでもないことなんじゃないかと。

さらに、さっきの3つの予想は、
・考えることをやめている
→考えても無駄。考える余裕がない。
・子どもが後回しになる
→自分(大人)中心。プロ意識の低さ。
・変える前にリスクばかりを考える
→未知に対する不安。できれば変えたくない。
という背景があるのではないかと考えました。

詳しく対話して確かめたわけではない、わたしの勝手な想像ですが、真面目で自分を肯定したい教師という生き物は、聞いたところでそれらしい言い訳を並べるだけではないかと、これまた想像します。

自分もその教師の一人として、
忙しさや、環境、マインドの変化によって陥りそうな気がしたので、
自分への戒めとして、思いっきりディスり記事を書いてしまいました。誰かを批判するつもりはありません。

考え続けよう
変化を起こそう(歓迎しよう)


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます!感謝!