13 保護者としての思い
三学期制の学校は、学期末が近づいてきました。教師は成績をつける時期です。
わたしの所属校は、在籍児童数が多いこともあり、7月初旬が管理職への提出日です。(投稿する前にその日をこえてしまいました。ちゃんと締め切り前に出しました!)提出したら管理職が各担任の成績(評価、所見)の確認をします。
さらに、多くの学校(なのかは分かりませんが)、学期末の保護者会が開かれます。
(ちなみにわたしの所属校は、年間三回に減らしたので、今学期末の保護者会はありません。)
わたしの愛する二人の息子たちの学校は保護者会があり、先日次男の保護者会へ参加してきました。
そのときに感じたことを記事にしようと思います。
我が息子(次男)は、小学1年生です。
学期(年度)はじめの保護者会は、仕事の関係で参加できず(父親が参加)、今回がわたしにとって次男の担任が行う保護者会へ初参加となりました。
キーワードで綴られた資料
保護者会では、子どもたちの様子を伝える資料があります。
今回はクラスごとの開催だったのですが、資料は学年で同じものです(たぶん)。
そこで、クラスの様子を伝える部分には、「あいさつ」「忘れ物」「時間」…というようなキーワードが記載されていました。
なるほどー
と思いました。そのキーワードごとにクラスに合わせて話をするということで、良くても悪くても使えるようになっています。
ここまでは、教師目線ですが、
保護者としては、文でいろいろ書かれていても(例えば今がどうとかどんなふうに変化したかという感じ)、あんまり伝わらないよなーと思うので、
「これを大切にしている」
と分かることが重要だと思いました。
動画でも伝わる授業観・子ども観
保護者会の中盤で動画を3本見せてくれました。
撮影者は担任。1つは外国語活動で別の先生が指導しています。2、3つめが担任の授業なのですが、子どもたちは自分で活動、学習しているので、先生は撮影しながら声を掛けていました。
一保護者として見るなら、息子を見つけたいところですが、一瞬映る程度なので、思わず教師目線。
すてきな授業だなーと思いました。
わたしが大好きな「バラバラ」「ざわざわ」の授業でした。
でも、やることはやっていて、子どもはニコニコ、のびのびしていました。
担任は様子を伝えるつもりで流しているのでしょうが、わたしには先生が「授業というものをどう捉えているのか」「子どものよい姿をどう考えているのか」ということが伝わってきました。
この感動は、7月末の個人面談で伝えようと思います。
親の安心感は、子どもの落ち着きに変わる
これは、当たり前のことですが、長男の3年間では感じられなかったことなので、もしかしたらその当たり前が難しいことなのかもしれないと思いました。
長男の今までのクラスは、産休に入る先生のクラスだったり、わりと手のかかる子が何人かいる編成だったりでした。同じクラスのママ友からは「学級崩壊してた」と聞き、その中でよくやってたなーと思うほど。長男は学校の話をほぼしないので、他からの情報頼みなのですが、特に昨年度は保護者会がわたしの職場のと全かぶりだったので、そんな様子でした。
職業柄、気にし出すとその担任への思いが強くなりすぎると思うので、なるべく息子たちのクラスには無関心であろうと思っています。
逆の立場も経験しているし、保護者が教員で、しかも経験が上だったら、それだけでやりにくいですよね…
自分は無関心でも、
ママ友たちは関心があります。担任への不信感は、同業として聞いていて辛いけど、そりゃあひどいよなーとも思う。ひどいかもしれないけど、決してよい方向には進まない。
きっとだれもそんな状況をのぞんでないのに、安心感が生まれず、悪循環に陥ってしまします。
学校の中で、大きな悩みの一つに「学校(担任)vs保護者」という構図があります。
本当は共に子どもの自立を目指し、同じ方向を見たいところなのですが、子どもを挟んで対立関係になってしまうことがよくあります。
その原因はいろいろありますが、
「思ったどおりじゃなかった」
という思いによる、ボタンのかけちがいが、どんどんズレて大きな溝になるパターンが多いと思います。
この主語は大体が、保護者なのですが、そもそも子どもって思い通りにいかない生き物なので、その根底にある、子どもを枠にはめたりコントロールしたりして、私物化する度合いが強いと問題が大きくなります。子どもは誰のものでもなく、本人自身の人生を歩んでいるし、自分で歩めるように(自立を)育っていくものですが、それがそうはいかないということがよくあります。
話を「子どもが主役になる授業づくり」につなげると、
教師は、こんな授業(バラバラ、ざわざわ)してたら保護者が納得しないんじゃないかと、新しい方法に取り組めずにいることが多い。でも、形ばかりを気にしていたらなにも進まないし、そこにいる子どもの目が死んでいたら保護者だってうれしくないと思う。
要は、子どもの姿と納得感、そして、ありのままの姿を伝えてもらうと保護者は安心するのではないかと考えます。あと、成長が実感できれば最高。
ちなみに「伝える」という点で、わたしはずっと学級通信を出しています。クラスの誰かの何かというよりも、クラス全体の様子や、いま学校はお父さんお母さんたちが通っていた頃と違うのよーっていうことをジワジワ伝えるために。
いま保護者として、小学校の教師として、
息子たちの学校に対してどんなスタンスでいるかはまだ定まってはいませんが、なるべく教師であることを隠しつつ、特に担任の先生の応援がしたいと思っています。