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時代を越えて “贈る言葉”


「“親”というのはなぁっ
“木の上に立って子供を見る”と書くんだ💢」


「あの子はなぁ、黙って木の上に立ちあなたを待っているんじゃないか!」



「何度でも私は言います!人間どう◯ぬかじゃないっどう生きていくか、ただその一点だけです!
みんな、覚えておけよ!」

「あの時◯んだら、今のみんなの声は聞こえなかったと思え」



「生徒に100分の1の可能性があるならば、教師はその“1”を見つめながら授業をするんだよ!
その“1”のことを世間では
“希望”と呼ぶんです!」

「私は35年間ずっとそう思って教師をやって来たんだ!」



久しぶりに聞いた。

 

“心に染み入る”お言葉



本名「坂本金八」


『3年B組金八先生!』


毎回金八先生のお話には
耳を傾け聞いていた。


“金八先生の言葉”は
幼い私にもわかる気がした

それは一点の曇りもない目でまっすぐ見つめ、
うそのない言葉で話していたから…


あってる間違ってるではなくて、

「どう伝えるか」


そのことだけを真剣に見つめていたからだと思う。


でも
あの頃のわたしは完全に
ドラマの世界だと思ってた

“あの頃のわたし”は…

 
 「腐ったリンゴ」



 「いじめ」「妊娠」

 

 「性同一性障害」



「見えない闇」「薬物依存」




子どもは不安や寂しさなどから様々な問題を起こすことがある。


そのときは、ただ子どもを怒鳴るだけではなく、

その子の前に立ち、信じて
守る

その背中があれば
子どもは安心して育つ

道しるべ


その時代において
無関心であってはならない
ことを
金八先生は定義していたのではないかと今は思う


そしてこれらは

「子どもの問題」

 
 だけではなく


「社会が産み出した問題なんだ」とも言えるのではないか?



時代が変わり
“問題定義”が変わっても
子どもたちは必死で未来を模索しながら生きている



だから私たちは
“子どもの可能性を否定”
することなく

ただまっすぐに見つめ


子どもが手を差しのべてきたならば、その手をしっかり握りしめ

強く抱きしめてあげるだけでいい



そこに時代は関係ない



「“歩く”という字は少し不思議な字だよな。歩いていくのに“少し止まる”と書くんだ。一歩一歩焦らずに歩いていける人になってください。」 【坂本金八】










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